「日本年号史大事典」。 | 無駄話。

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鬱病・適応障害持ちが書く与太話です。「下劣な党派心」による「あら探し」が多いので、合わない方はご遠慮願います。

 まだAmazonでは発売していないが、最近は出ていないようだが親北朝鮮の出版社でもある雄山閣から出た「日本年号史大事典」は以前出た本の版下をそのまま使ったところもあって改版臭いが、なかなか面白い。巻末の年表で日本の天皇と年号に併記されている中国の皇帝と年号は中華思想的で、南明の永暦帝まで明が存在しているようになっている。さすがに遼と金は宋と併記になっている。新羅の年号を書いたところで、MBCの「善徳女王」を明記していた。ヴェトナムの年号についてコラムになっている。バオ=ダイ帝の時代まで科挙があって、銅銭が鋳造されている。勿論、フランスのインドシナ総督府が支配者だが。
 欲を言えば朝鮮の暦について、もう少し書かれていたらいいのだが。崇禎年号や高宗朝の年号の変遷も、それはそれで興味深い。徳恵翁主の墓碑に刻まれた年号が、西暦や檀紀、干支ではなく高宗朝期に一時使われていた「建国」年号だった。辛亥革命後、紫禁城内では宣統年号が生きていたが、韓国の遺臣が隆煕年号を使ったという話しは聞いた事がない。昌徳宮内では「陛下」の尊称が黙認されていても、韓国併合後は日本の年号が使われていたはずだ。朝鮮ではここ一世紀あまりの中で清の年号から朝鮮独自の年号を経て、日本の年号となり、5・16軍事革命までは檀紀が公式年号だったし、臨政は「大韓民国」年号を使っていた。それに「主体」年号もあるし、北朝鮮での檀君を基準にした紀年は韓国とは違うはずだ。元号というところからは外れるが、それはそれで書いていくと「朝鮮の暦法」という題名の本が一冊書けそうだ。韓国で西暦が使われるようになったのは、いつからだろう?韓末に使っていた人がいるかもしれないが、日本の植民地になってから、日本の年号や皇紀を使いたくない人が使い始めたのだろうか。韓国で公式に西暦が年号になったのはアメリカとソ連の軍政期からだろうが。
 南朝が主で北朝が閏という扱いだ。
 正平年号が「北朝」となっていたり、同音異義語の誤記(おそらく誤変換がそのままになっているのだろう)があったりするのは残念だが。
 元弘年号について、光厳朝では元徳が使用されていたように書かれているが、掲載されている改元詔書には元弘から正慶に改元されているように書かれている。本当はこれでは困るのだが…。覚如の「口伝抄」では元弘の年号が使用されている。鎌倉では元徳が使用されていたが、京では元弘が使われていた、というところとか。
 ミネルヴァ書房から今月、光厳院の伝記が出る。光厳院の崩御650年記念出版との事。ミネルヴァ日本評伝選の最初の頃の目録には光厳院の伝記は入っていなかった。読者からの要望で加えられたようだが、筆の速い人は二冊、三冊伝記を書く人もいるが、月1冊の割で伝記が刊行されているから、読んでみたい本でも未だに刊行されないものもある。金素雲とか親鸞、恵信尼・覚信尼とか。覚如の伝記は最近、刊行予定に加えられたが、いつ出るのでしょう?光厳院は後醍醐天皇に比べて地味な存在だが、それなりに人気があって、何冊か伝記が書かれている。