謙遜、謙虚、へりくだるということは、聖書の中に繰り返し語らられている。
謙虚(けんきょ)と謙遜(けんそん)は似ているが、微妙な違いがある。
謙虚は、自分の知識や能力に対して客観的な姿勢を持ち、自分の限界や未熟さを自覚する。これは成長の姿勢であり、他人から学び、自己を向上させるための意識です。
謙遜は、他人に対する感謝や丁寧な対応であり、自分の評価を控えめにすること。これは謙遜の行為であり、相手への敬意や謙譲の心情を表します。
つまり、謙虚は自分の内面を重視し、知識や能力に対して客観的な姿勢を持つことを指し、謙遜は他人に対する敬意と感謝の心情を示すことを指す。
聖書に、「神は、高ぶる者を退け、謙遜な者に恵みをお授けになる」と書いてある。
謙虚、謙遜の対語は、「傲慢・慢心」
人は、日々傲慢な態度をとっていると意識はしていないが、実際には傲慢だろう。
極端な例を挙げれば、私たちが日常的に食事をすることができるのは、植物や動物の犠牲があり、それを育てた人や摘み取った人、運ぶ人、売る人、料理をする人が存在している。しかし、私たちはそれを当たり前だと思い、お金を払って食べることになんの疑問もない。
毎朝、謙虚、謙遜という言葉を唱えて、傲慢な自分に気づかせたい。