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2012/11/18(Sun.) 主日礼拝メッセージメモ

感謝することによって、神さまに近づくことができる。
感謝の度合いで、自分の状態を推し量ることができる。

「我らを試みに遭わせず、悪より救出し給え」マタイ6:13

1.誘惑は、私たちの一番弱いところをついてくる
フェアプレイしてなんか、くれない。ヤツはいつも卑怯だ。
2.律法は、罪深い欲情を駆り立てる
ローマ7:5
律法は私たちをイエス様のもとに導く。
a)神さまが律法を与えられ
b)罪深い情欲が、不従順を引き起こし
c)私たちは皆イエス様が必要であることを悟る
3.意思の力を過大評価してしまう
意思の力は、堕落によって機能不全
わたしたちはLost.意思の力ではやっていけない。
だから。イエス様が来られた。
自己鍛錬・修行では無理。
コロサイ2:20-23
「○○してはいけない」という規則に縛られるのか?
悪い思い、欲望には打ち勝てない。高慢にするだけだ。

原則1 恵みの源、神さまに再接続
人生のゴールとは生きること。
神さまに向かって前向きに歩んでいくこと。
究極の誘惑、それは神さまから切断し、自力で生きようとすること。
原則2 誘惑からは逃げる
私<誘惑<神さま
原則3 ココロの回復
誘惑は癒しポイントの教示
原則4 神さまは人を用いる
定期的に会える友達+24hr態勢待機の友達

生きる目的とは、何なのか。

高度経済成長を終えて
成熟期に入るにあたり
バブル崩壊、失われたxx年といわれ
社会の未来に明確な方向性が得られない中で、大人も子供も希望を持ちきれずにいる。

そうなってから3万人の命が毎年自らの手で失われている。

それは絶望による。

生きている意味が価値が見出せない。

見つけられずに、命を絶つもの、断ち切れずに
なんとなくごまかしてすごしている者。
必死に探して見つける者もいる。


心の中心に、人生の目的をすえるスペースがある。

そこに何をセットするのかは一人ひとりの自由意志に委ねられている。






あなたは何をセットするのか。








私は、イエスキリストによって表された神を信ずる。
心に聖霊を受け入れる。


人がどのように言うか。
それに寄って生きても人生はどんづまりでしかない。
道がない。

イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
 わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
ヨハネによる福音書14:6/新改訳



どんなに苦しい状況にあろうと、生きる喜びを持って歩む。
その力が与えられる。

あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
コリント人への手紙第1 10:13/新改訳


主の御名をあがめます。


◆ココロが軽くなる聖書の言葉 | メールマガジン
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信念を、ゴミ箱に捨てた。

いま信念を、ゴミ箱に捨てた。
正確には、「信念」という本を捨てた。


 ・ニューソート系
 ・成功哲学
 ・自分で自分の成功をコントロールできる。

高校生に本屋でその系統の本に出会って以来、大学で苦しみからの回復のきっかけになった本も含め、自分自身の一つの力として頼っていた本である。いわゆる自己啓発本。


そこには成功して自分を振り向かせたい、価値があると認められたい、それをっすべて自分でコントロールしたいという動機があった。その誘惑がドライブの根本にあるということ。

小学校~中学のあたりで、自分を捨てて自由に動き回り、結果として一般的に成功と呼べるような華やかな境遇に身を置いた。
それは、おそらく当時通っていた教会学校を通して、主イエスキリストとその教えを信じた結果だろうと思う。
強く願い求めた面もある。しかし最終的に恐れから解放されて動き回っていたことが大きい。

それを自力で再現しようとしていたのが、冒頭で書いたニューソート系の自己啓発本に頼るという方法であった。
高校時代から、大学~社会人、現在に至るまでそれは続いていることと思う。
(ただし最近は、人生の試練の中で、その方法がうまくいかないことに気がついており、方針転換を迫られている)

振り返れば、その方法に頼っていたが実質はうまくいかず、人間の力の限界にいただけにすぎなかった。
祈りによって神さまの力を自分に呼び寄せ、自分のこの世における願望を達成するためだけに、その力を活かそうとしていた。

結果は、理想の自分像と現実の自分のギャップを直視できず、自己欺瞞を続け、ついには鬱状態になった。
大学は留年し、3年つきあった恋人にはふられ、ゲーム中毒にはまって、自分が生きている意味を見いだせなくなった。

そこで助けられたと思った本も結局はニューソート系であった。信ずれば道は開けるというものであった。
そこに神さまに委ねる気持ちがあったかは正確には覚えていない。
少なくとも記憶には残っていない。

苦しい時期だった。

社会につながりたいと思い、時のITベンチャーブームに沸く狂乱の中、ベンチャーでバイトをし、身体を壊し、性的には乱れた生活を送りつつ、それでもシステム・プログラミングへのおもしろさに目覚めて、いくつかのバイトを経て、やがてSEとなった。
(本当はコンサルを志望していたが、力及ばず、なれなかった)

会社に入ってからは、新人扱いが生ぬるく、もっとさせてくれという思いでずっといた。
改善志向が強く、自分がもっとも改善してやる!という熱い気持ちで突き進んでいた。
社会人2年目の時、結婚を機に主イエスキリストを受け入れた。

ある種神秘体験があり、ロジカルな根拠を持たないまま、クリスチャンとなった。
そこにロジカルさを求めると、自分が実は救われていないのでは、という疑念にぶつかるため、
目をそらしているだけかもしれない。

しかし、人の思いをはるかに越えた主がきっと私に働いていてくださり、理解は前後しても、そこに真の救いが存在すると信じている。

で、CR(セレブレイト・リカバリー)のステップスタディのテキストを一通り終えてみて、自分の半生の棚卸しを続けている中で、(そして本棚の片づけをしながら見つけた本を見て)、ニューソートという考え方が自分自身の中に深く入り込んでおり、今もそれが自分の考え方・価値観に大きな影響を与えていることに思い至った。


2011/7/31時点の振り返りをここに記す。

愛することとは

愛することとは、見つめあうことではなく、同じ方向を向くこと。

って誰かが言ったそうな。(ぐぐればきっと出てくるはず)

愛が中心的テーマである聖書にはこう書かれています。

ともに喜び、ともに悲しみなさい。




愛されてるって、ひとりじゃないって感じです。

燃焼せよ!人生の中に、それを刻み込め!!

燃焼せよ!人生の中に、それを刻み込め!!

喜んでやる/喜んでなる



喜んでやる


喜んでなる



人間、人生。なんじゃ、これは。 イザヤ57:15-19 ほか

高くあがめられ、
永遠に生きておられる聖いお方が、
こう仰せられる。

「わたしは、高く、また聖い所に住んでいるが、
 心の砕かれた謙遜な人と共にいる。
 謙遜な人、心の砕かれた人の心を生かす。

 わたしは、いつまでも人を裁いてはいない。
 人はわたしが造ったものだからだ。

 偶像礼拝の罪のために、わたしは彼らを裁いた。
 しかし、なおも背いて、自分の思う道に行った。

 わたしは、神に背く者たちを導いて、
 彼らを悔い改めさせ、慰めを与えよう。

 わたしは、人の心を変え、罪を告白させる者だ。
 選民も外国人も、わたしは救おう。
 彼らに平安があるように。」

と、主は仰せられる。

イザヤ57:15-19/現代訳



エルサレム教会の指導者たちも、私の宣べ伝えていた福音に、
何も付け加えはしなかった。
もちろん、彼らがどんなに偉い指導者であるかどうかということは、この際どうでもよい。
神の御前では皆同じである。

ガラテヤ2:6/現代訳




神の前に、人間の差なんてない。

みんな同じだ。

謙虚な気持ちで、互いに愛し合えたらどんなに幸せだろう、
とみな心のどこかでは思っているはず。

その考えに至らないとすれば、それは過去の傷や何かが邪魔しているのか、
そもそも、人間は、自分は愛とは無縁だと信じ込んでいる人か。
あるいは現実的に、そんなうまい話があるわけないと、あきらめているだけなのか。
「あんな人・人たち相手に、そんなこと考えるだけ疲れるし、無駄」 なんだろうか?



ぼくらはみんな、ひとりひとりが大切で、かけがえがなくて、唯一無二の価値ある存在。
でもそれを心から信じて受け入れることができない。
ぼくらはみんな、ひとりひとり歪んでいて、どうしようもない問題だらけだからだ。

自力で生きようとするから、苦しくなるんだって、今日神さまは教えてくれた。


私の古い自我は、キリストがゴルゴタの丘の上に立てられた十字架上で死なれた時、
キリストと共に死んでしまった。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのである。
今私が肉体を持ってここに生きているのは、私を愛し、私のために
ご自分のすべてをささげてくださった神の御子を信じることによって、
生かされているのである。

私は、この神の驚くべき救いの恵みを決して無駄にはしない。
もしも律法を守ることによって救われるというのであれば、
キリストは犬死をされたことになってしまう。

ガラテヤ2:20-21/現代訳


神様は、愛の働きを私を通して実施しているんだ、と心から自覚を持って実践できたら、それこそ、
お金や名誉やプライド、衣食住、その他 人の手によって作れるあらゆるものがちっぽけに見える。
金の延べ棒を見ても、ただの重たい棒としか見えなくなる。
それ以上に、自分の人生さえもなげうってでも(捧げても)、得たいと思うほど、
きっとそれは喜ばしいものなのだろう。

神様から離れて、「すべき」ことなんて一つもない。
人生・いのちそのものが神につながっているんだから。

神様との接続が切れるって、通信できない携帯のよう。
あるいは、充電器との関係か。

携帯の充電ができない状態で、やがて電池が消えていく携帯ほど、
みじめな役に立たないものはない。

無限のいのちの力を共有する”コンセント”に、いつも接続していたい。
(まめに充電すると電池の持ちが悪くなるって話も、なんだかアナロジー的)

神様の事を、いつも第一にしなさい。
そうすれば、衣食住は、天にいらっしゃるお父様が必ず面倒を見てくださいます。
こういうわけで、明日のことを心配する必要はありません。
いつでもその日その日を精一杯いきればよいのです。
マタイ6:33-34/現代訳



わたしがこの世に来たのも、だれかに仕えてもらうためではなく、
むしろ人々に仕えるためですし、また、多くの人々を救うのに、
犠牲として自分の命を投げ出すためです。
マタイ20:28/現代訳



Hallelujah!!
Heavenly Father, You are alive! Jesus is alive!
Thank you O Lord, THANK YOU SO MUCH!!!

Prayer is a talk with You.
Please let me pray more and more.
Your Words give me a true joy.

May You save, heal and fill my brother and sister with your love.
Thanks a lot.

In Jesus Name, Amen.

きみは心の底から、正直に歩んでいるか。 詩篇37:28

主は正しい人を愛し、真実な人を見捨てられない。
詩篇37:28a/現代訳




きみは心の底から、正直に歩んでいるか。


ぼくは、まだまだだ。

完璧は無理だし、完璧にしようとすること自体、かっこつけるっていう、
自分を守るよろい・壁を、自力で得ようとする気持ちから来ている。



正しい人は約束の地に、いつまでも住むことができる。
詩篇37:29/現代訳


この怒り、どうしてくれよう… 詩篇37:6-7

主は、あなたの潔白を明らかにし、
真昼のように明るくしてくださる。

主の前に静まり、堪え忍んで主を待て。
ほかの人が成功し、悪いたくらみがうまくいくのを見て、心を悩ますな。


詩篇37:6-9/現代訳





人を傷つけ怒らせる方法

相手のことをまったく考えないで話す。

話し続ける。

相手への配慮がないことが伝わった瞬間、傷つける。そのことへの償いの気持ちが見られないと、相手はやがて怒りを覚えるようになる。

特に親しい関係では、つい相手への配慮に欠けることがある。

親しき仲にも礼儀あり、か。


まぁ、要は今朝夫婦で軽く口論したわけですが。

互いに自分の気持ちばかりに目を向けながら話していたので、だんだんヒートアップしちゃった。
最後はクールダウンしたけれど、相手の気持ちへの配慮が必要ってことがよくわかりましたよ。


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