組織と自分のベクトル合わせ
今日は2005年から続いているスモールグループの交わりに行ってきました。
やはり、数年間のお互いの人生の歩みを共有して、共に悩み、共に祈り、共に喜びを分かち合った信仰の友、兄弟との交わりは、とても恵み深いものです。
さて、この半年でずいぶんいろんなことがありました。
2回も人事異動がありました。
最近は30歳過ぎの人によくある悩みなのかもだけど、
「いまのままの仕事・会社でいいのか」
と考えています。
それは、会社で求められる人材像と、自分の中の価値観が合わないと感じるため。
「ウソをついてでも信頼感を演出しろ」って言われているようで…。
先に口で言っておいて、それから裏で必死になって勉強して調査して、実体を口で言ったレベルに合わせていく…。
自分の中では、なかなかそのやり方になじめない。正直、やりたくない。
そいや、前の担当の上司も、
「有言実行となれ。有言不実行でもいい。
無言実行は周りから認めてもらえない。最悪なのが無言無実行。」
ってなことをおっしゃっていました。
どの上司も同じことをおっしゃいます。
会社では評価がよいし、まぁ人間的にクセが強いにしても、たしかに尊敬できる方々です。
自分の考えが甘いだけなのか…。
祈りつつ、神様から示されることを求めていきたいと思います。
今日、上司から「会う度に、元気なくなっているなぁ」と言われました。
自分としては、元気が上向いてきているつもりだったので、ちと意外。
「人の言うことを一々気にしてはいけない。
そうでないと、つまらぬことに気を使わなければならなくなる。」(伝道者の書7:21/現代訳)
でも同時に次のような御言葉もある…。
耳の痛い話こそ自分が成熟するために受け入れることなのかもしれない。うーん。
「あざける者は、懲らしめをひどく嫌い、
知恵のある人の意見を聞こうとはしない。」(箴言15:12/現代訳)
上司にしてみれば、もっとアクティブに動けということなのか。
自分は以前どうだったのだろう。
少なくとも、認められたい・評価されたいという動機で動いていました。
そして、周りより秀でようとしていました。け落とそうとしていました。
今はそれはできません…。
誤った動機に陥ることはありますが、そのような思いを純粋に求めることができなくなっています。
恐れているのは自分が愚かな者であるということを認めないといけない状況。
「愚かな者は、道を行く時でさえ、思慮に欠けている。
自分が愚かであることを、皆に示してしまう。」(伝道者の書10:3/現代訳)
「愚かな者は、労苦するが、自分が疲れるだけだ。
彼は目前にある目標すら知らない。」(伝道者の書10:15/現代訳)
たしかに今のわたしは、目標を知りません。
疲れています。目的がないのでふらふら労苦しているように感じます。
今後どう生きていきたいのか、自分の本当の気持ちが分からなくなっています。
改めて、心の中の素直な自分の気持ちを探している状況です。
いままで、ずっと何も神様に求めてきませんでした。
そして、いまビジョンがない!
そう気がついて、自分を探っています。
・いまの仕事でもあるけれど、システムを作ることは楽しい。(でも人間関係がうっとうしい)
・教会Webサイトを構築していて、やはりWebは好きだなぁ。
・カンボジアに知り合いができて、かの国の苦境を知り、何かできるのではないか、と。
…と考えて、今朝得られたキーワードは、
「カンボジア x Web x システム」
キリストとは直接関係ない一般のメールマガジンをたまたま読んだら
カンボジアでがんばる活動家のことが書かれていた。
◆ソーシャル・パワー・セッション(SPS)2008 | HRインスティテュート
http://www.hri-japan.co.jp/corporate/csr/sps/index.html
これだ!と思い、その活動家が話されるセミナーに申し込もうと思ったが…。
その日は、かみさんが結婚式出席のため、家で子守なのでした。
残念。
でもあきらめず、求めていきます。
今日は、以下の箇所を示されました。
=====
1 John 3:16-18 (NLT/新改訳)
16
We know what real love is because Jesus gave up his life for us. So we also ought to give up our lives for our brothers and sisters.
キリストは、私たちのためにご自分のいのちをお捨てになりました。
それによって私たちに愛がわかったのです。
ですから私たちは、兄弟のために、命を捨てるべきです。
17
If someone has enough money to live well and sees a brother or sister in need but shows no compassion -- how can God's love be in that person ?
世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。
18
Dear children, let's not merely say that we love each other; let us show the truth by our actions.
子どもたちよ。私たちは、言葉や口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。
=====
カンボジアで貧困に苦しむ人の助けになれ、ということでしょうか。
他にも自分に与えられているテーマはいくつかありました。そういえば。
まず、学生の頃から気になっているテーマが「日本の自殺者3万人をゼロにする」というもの。
あとは、「日本の教会・伝道活動をサポートし福音がより広まるためのWebサービス開発」というテーマもあります。
どれもまだすぐ実現できるものではありません。
しかし、準備をし、祈り求めていきたいと思うようになっています。
すぐ飛びだそうと思いましたが、以下の御言葉が与えられたので、冷静に準備を進めることにしようと思います。
マタイ4:6-7/新改訳
「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから。」
イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」
むやみやたらと無謀にも飛び出すことは、神様を試みることになってしまうと考えました。
「上に立つ人があなたに向かって腹を立てても、
あわてて自分の場を離れてはならない。
冷静であると、罪を犯さないですむ。」(伝道者の書10:4/現代訳)
ですが、即やめなさい、ということにはならず、準備をして何かしらの実現プランを立てた上で実行に移す。それならよいかなと。現在の方針です。
まだ見ぬ恵みを確信する信仰を、主よお与えください。
純粋に、神様を愛し、周囲の人を愛することを動機とされますように。
「災いがその上に重くのし掛かって来ても、
すべてのことには、時と方法がある。」(伝道者の書8:6/現代訳)
「人は心の中で、いろいろなことを計画するが、それを成就してくださるのは、主である。」(箴言16:1/現代訳)
「あなたがしようとしていることを、主に任せなさい。
そうすれば、あなたの計画は必ずうまくいく。」(箴言16:3/現代訳)
「今、自分の手で出来ることは、全力を尽くしてやりなさい。死んだ後は、働くことも、計画することも、知識も知恵もない。」(伝道者の書9:10/現代訳)
(肉体的には)死んでもともと。与えられたタラントを埋めず使う。明日をわずらわず。
働くこと、計画すること。いずれも全力を尽くして。
どちらも精一杯推進していくようにしたいです。
というのが今日の結論。
God bless you!!
人生は、今日も現在進行形です。
2007/10/16 2:40 時点のメモが、いまさら発掘。
未掲載だったので、載せてみます。
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現在、悩みと忙しさの乱気流にいます。
委ねるということに悩んでいます。
何もしないことが「神に委ねること」なのか。
聖書には色々「やること」が書かれています。
今のところの答えは「委ねつつ取り組む」。
でも、具体的にどうしたらそうなるのか
皆目検討もつきません。
「何を」することが「御心」というものなのか。
何もすることをやめた時に「御心」が私を通して現れるのか。
あがいて、もがいて、苦しみの末に、
最良のカタチで「御心」が私を通して現れるのか。
わたしは、自分をいじめすぎなんでしょうかね。
いつしか、楽しい、嬉しいだけでは
人生は、社会は、成り立たないと考えるようになりました。
昔の方が、理想を追求していました。
みんな楽しくなるようになればいい。
そのために面倒くさいものは全部取っ払う。
…でも、それを「若さ」と呼ぶのか。
あえて自分で苦しみの中に身を置こうとする姿勢。
必ずしも、謙虚とは思えません。
むしろ神様が与えるべき試練を
自ら作り出そうとしている
人間の傲慢さを自分の中に感じる時もあります。
苦行を進んで行う、ということをやっているのかも。
それをして、何を期待しているのか…。
リカバリのテーマにつながりそうな気がしています。
自分の過去の傷にさかのぼる、癒しの旅。
人生は、今日も現在進行形です。
有名人でクリスチャン。結構いるんですねぇ。
有名人が特別にすごいとは思わないけれど、
キリストを信じている人が有名であることは、伝道のルートなんじゃないかな。
一つの生きた証がより伝わりやすい。
もちろん、イメージが先行しがちだから、実際の本人像とはズレがあるかもしれない。
でもキッカケとしては、一つの強力な機会だと思う。
…ミーハーって言わないでちょうだい。その通りなんだからさ。
嬉しいのよ。
●クリスチャンの有名人|大切な君に伝えたいことがある イエスキリストの愛
http://ameblo.jp/onewayjesus/entry-10067734684.html
このページには載ってないけど、SONY創業者の井深さんもだよね。
「トリニトロン」は父、御子、聖霊の三位一体に由来しているらしいし。
古くは、「武士道」書いた新渡戸稲造さん。
いますね。あと、内村鑑三さん。
こちらは教科書で見たことがあるなぁ。
おいらが大好きだったB'zの松本さんも入っているね。
検索してみると、結構引っかかる。うれしいなぁ。
個人的には稲葉さんもかな~と思う瞬間よくあったけど、
はてさて、そういった噂はあまり聞きませんな。
上記ページによると、速水 前日銀総裁もなのか~。へぇ。
ヤマト宅急便の故・小倉さんはよく存じ上げておりました。
松下電器が pioneer にブランド・社名を統一したけれど、
旧 pioneer の前身は、「福音電気」なんですね。
「福音」。ぐぐれば、色々出てきます。
あと、ワタミの渡邊社長がクリスチャンだってのは知らなかったから、驚いた。
●ニッポンの社長 | 検索結果内容
http://www.nippon-shacho.com/search/result.html?did=13
結構、雑誌で彼の記事、読んでいましたが…。
雑誌って、宗教色を出さないようにしているんですね。
いままでかなり読んだけど、まったく気が付かなかった。
そうそう、「生き方上手」の日野原重明先生や相田みつをさんも尊敬する
味のある生き方をされている方々ですが、やはりクリスチャン。
アサヒビールの樋口さんもですか。うーむ。
作家の三浦綾子さんは言わずもがな。
アンパンマンのやなせたかしさんも聞いたことがあります。
他にもいっぱいいらっしゃるのでしょうね。
…とここまで書いておきながら、なんですが、
この世でいくら有名になっても、それだけでは全く空しいことです。
旧約聖書の伝道者の書/コヘレト書にも書いていたはず。
誇るべきは、主イエス・キリスト。
主が兄弟姉妹を支え、用いて、日々わたしたちを通して働いていてくださる。
素晴らしいと思うのは、有名人たる彼らに主が働き続けて、豊かに祝福していてくださること。
有名であることは十分条件だけど、主に用いられる必要条件ではない。
彼ら有名人をうらやましがるでもなく、崇拝・心酔するわけでもなく、
その働きに神を、主を見る。
それが神様にぼくらが促されていることなんじゃないかなと。
そう思います。
義務じゃなくて、喜ばしいこととして。ね。
誰かとものすごく分かり合えた時、
仲良くなれたと感じた時、
人生をささげたい!と思った時、
この人にずっとついていくと思ったとき…
ものすごく興奮して、はしゃいじゃうかもね。
神様を知るって、きっとそんな/それ以上の興奮の連続なんだと思っています。
ひとりでいるとね、
人は関係の中で生きる。関係を捨てては生きていけない。
絶対者として関係を保ってくださるのが、主イエスキリストを通してその愛を教えてくれた神様。
神を相対化する日本と絶対視するモノの多様化
「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)
その内容を、やや乱暴にまとめてしまえば、
日本人はあらゆるものを相対化する。
だから唯一絶対の神を信仰するキリスト教は表面的に受け入れられても、
最終的に他の神と同列に・相対的に扱われるために、本義的なところで矛盾が生じる。
結果的に、絶対的な存在としての神は受け入れられず、根付くことはない。
という論調だったと記憶しています。
「唯一絶対の~」という表現に「うさんくさい」と眉をひそめる人って確かに多いかも。
では、神を絶対視しない人は、何も絶対視しないのか。
「それなしでは、生きていけない」という存在が心の中にあるのであれば、
その存在が絶対的存在となるハズです。
配偶者、恋人、子供、家族、友人などの関係ある他者、
お酒、タバコ、スイーツ、コーヒーからドラッグも含めた化学物質、
TV、インターネット、ケータイなどのメディア、
誰しもが生きていく上で必要であろう お金…などなど。
その対象は際限がありません。
「神を信じない、なぜなら信じなくても生きていけるから、現にこうして生きているじゃないか」
…もしそう思っているとしたら、それは言葉遊びをしているにすぎません。
最も大切なものを、「神」という言葉に置き換えてみてください。
それがなくなっても生きていけるかどうか。
それに裏切られても生き続けられるかどうか。
神以外の存在にハマり、あるいはすがり、結果的に苦しんでいる私たちの姿を見て、
神さまは心を痛めておられます。
◆マタイによる福音書9章36節/口語訳
また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、
倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。
現代は、過去に比べて価値観が多様化していると聞きますが
大切なものが人によって色々ある状態になってきたことと理解します。
神以外の存在は、どんどん増えます。多様化します。
一人の人生で見ても、大切なものが移り変わっていきます。
この世にあるものは常に変化していきますから、
変化するものにより頼む人生も、また流されるままに変動します。
日本人の精神構造においてすべてが相対化していると仮定すると、
価値観が多様化していくにつれ、絶対視する存在も多様化していきます。
行き着くところがどこなのか、刹那的な感情だけでさまようのか
信頼できる存在に付き従っていくのか。
私自身も未熟ですから、簡単に神さま以外の存在に埋没してしまいます。
多くのものに次々と夢中になったり、縛られてしまったりします。
最終的に、にっちもさっちも行かなくなり、神さまに「ゴメンナサイ。赦して」とお願いすることで、解放されていくわけですが、日々成長の連続です。
「楽しく自由に生きて、何がいけないのか?」
楽しく生きること自体は、神さまが人間に与えてくださっているプレゼントですから否定すべきものではありません。
問題は、神を忘れて享楽にふけり、価値のないものに囚われて、ぐるぐる苦しい場所をうろうろしなければいけない状況です。
神以外のこの世の存在に寄り頼めばどうなるか?
それは永続できず、また矛盾をはらむものであるために、
結果的に必ず苦しむことになるでしょう。
だから、神は聖書を通して偶像礼拝を禁止していると受け止められます。
いかなる「神」も捨ててしまうとどうなるか?
おそらく生きていけないでしょう。
生きる意味がなくなるからです。
意味を求めて、快楽・禁欲、人・モノ問わずになにかにすがりつきたくなるのが、私たち人間なのだ。
…と聖書は、偶像礼拝への戒めを通してわたしたちに語りかけています。
たとえあなたの両親があなたを十分に愛してくれなかったとしても、
それを上回る絶対的な愛があり得ることに興味が持てるでしょうか。
たとえ興味がないとして、それが本心からのものでしょうか?
頭で解釈しているだけではないでしょうか?
あなたを愛してくれる絶対的な存在がいる、という仮説を受け入れるかどうかで、
これからの一生に意味とエネルギーが与えられるかどうかが決まってきます。
「自分のため」の苦しい行き方から、純粋に喜んで「他人のため」にも尽くせる行き方へ。
選ぶかどうかは、個々人にかかっています。
愛があればいきていける。
そして、「神は愛なり。」
◆ヨハネの第一の手紙4章16節/口語訳
わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。
神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。
これを読んでいるあなたも、そしてわたしも、そのような人間でありますように。
●動機を問う質問
失礼な質問かもしれない。
しかし動機を問うには最適な質問だ。
一度、自分に問いかけみるとよい。
自分がいなくては成り立たない、自分がやるから意味があるのだと考えていれば、外れることは不可という回答になる。
自分でなくとも理想的なゴールが成り立つのなら構わないというのであれば、自分がいなくても可という回答になる。
高慢は鼻につくだけでなく、協力を得られない。そのゆえ失敗するか、成果はでても人間関係性、人脈という観点においては失敗する。
謙虚さは、チームの雰囲気を良くし、モチベーションを上げ、成功に導く。成功しなくとも次の展開につながる。
オープンかなぁ?
そして隠し事をしてはいけない。
――スティーブ・ウォズニアック
スティーブ・ジョブズと共に米アップル社を創業したもう一人のスティーブの言葉。
最近思い出したことは、いや思い知らされたことは、自分が隠すクセを持っていること。
不正直、不誠実ってほんと損だなって思います…。
家庭、職場において弊害が…。何とかしたいのですが、根が深くなかなか改善しません。
わたしはイエスキリストを通して神さまを信じているクリスチャンですが、せめて神さまとの関係は正直なものでありたい。
信用回復の即効薬なんてないですから、短期的には祈るのみ。
長期的には、私はセレブレイト・リカバリに希望を持っています。
いやはや、人間関係でトラブルがあると、ほんとにつらいですね。
雨降って地固まるになると信じて。
今日もよい一日を!
苦労に意味はあるのか?
いけにえよりもむしろ砕かれた魂を、神様は求めている。
「砕かれる」って物騒な表現。
どういう意味だろう?
わたしは別に神学を修めているわけではないので、以下、単なる私見として読み流してくださいまし。
さて、「砕かれる」。
砕かれている状態ってのは、完全に状況に降伏した状態。
まさに、お手上げ。
もう、どうにでもしてください。
そんな状態なのではないかと。
そしてそれは、
「苦労した人ほど、人に優しくなれる。」
というコトバに通ずるのではないかと。
砕かれると神様が働かれて、愛に満たされる。
そうすると、神様に対しても他人に対しても謙虚になり、優しくなる。
(優しさだけじゃないかな)
今朝は体調が悪く、へろへろでした。
へろへろだと、他人に強く何か言う気もおきません。
相手も疲れている場合は、お互いをいたわり合いたくなります。
「たいへんだよな~、おまえも。」
心は開かれ、相手に委ねている状態。
逆境で培われた友情は、順境の時よりも堅くなると思います。
支え合うからでしょうか。
もしヒントをお持ちの方がいらっしゃいましたら、コメントをくださいませ。