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奪い合っているのではなく、与え合っている

精神力 強くなる迷い方
桜井 章一

考え方が面白いので、読んでいます。
今日のメモ。

◆自分にとって本当に価値のあるものを見極め、それに感性と感情をぶつけること、
 それが有意義に生きるということ。

◆自然界では生命を奪い合っているのではなく、与え合っている。

◆競争がいつしか争いに変じていることに多くの人が気づいていません。
 …
 争えば、最終的にどうなるか。滅びが待っているだけです。
 
◆自然が教えてくれる
生きることの厳しさ
競争の背後にあるバランス
分け与えるということ
調和

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「奪い合っているのではなく、与え合っている」という点に、「なるほど!」と思いました。

人間、奪い合うと不幸になりますね。

与え合う、という意識で、自然に過ごせたらと思います。

尽くす愛、捧げる愛

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全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、


誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、

愛がなければ、わたしに何の益もない。

(コリントⅠの手紙13・3)
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苦しいほどの愛。胸が焦がれるほどの愛。
情熱。無償で相手に捧げたい愛。

それがなければ、むなしい。
何のために捧げているのか。

きみは、深く愛した、愛そうとした思いで持っている?

奪う愛じゃない。
傷つける愛ではない。

ただ、この身をなげうってでも、表現したい相手への想い。
愛という目的がなければ、生きていることすらむなしい。

愛という目的を見いだしたのなら … 毎日を生きる中で流れていく景色が、
少し違うものに見えるかもしれない。

それは、あたたかかった。
それは、まるくてなめらかだった。
それは、やわらかかった。
それは、甘酸っぱかった。
それは、キラキラしていた。

いま、それはどうなっているだろう?

すでに受けたと信じることの実現力。(マルコ11:22-24)


イエスは答えて言われた。

「神を信じなさい。

 まことに、あなたがたに告げます。
 だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、
 心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。

 だからあなたがたに言うのです。
 祈って求めるものは何でも、
すでに受けたと信じなさい。
 そうすれば、その通りになります。


(マルコ11:22-24/新改訳)



以前、イエスが呪ったいちじくの木が、後日枯れていた…という話。
信仰の力の威力について書かれている箇所です。

思い通りにならないとき、「疑わずただ信じる」ということなんて、むずかしいよ!
って、思ってしまいがちです。
でも、神さまが聖書を通して約束してくれていることなので、
それこそ信じればその通りになります!

信じる状態とは、何度も心の中で繰り返すことではなく、
それ以外の事実を認めない、ということです。

「信じない」はあり得ない話で、
かならず何かしらの事実を信じているわけです。

「わたしはここにいる。息をしている。生きている。」
ということを事実と認めるなら、そのことを信じていることになります。


「世の中、クズばかりだ」ということを事実とするならば、
そう信じていることになります。


「祈って求め、すでに受けたと信じる」
あなたは、祈って求めていることがあるでしょうか?
子どもの頃、若い頃、描いていた夢、どこかに置き去りにして、日々を雑事に忙殺されていないでしょうか。



祈りがかなえられるのは、「良い行いをしたから」ではありません

直前に書かれていますが、イエス様はいちじくが枯れる前と後の間で、
神殿で商売をしていた連中を追い払いました。あ
聖書に基づき、そこで商売することはよくないこととして、追い払いました。
御心にかなった、よい行いです。

でも、いちじくの木が枯れたときに、イエス様がおっしゃった「信じたことの実現」の条件は、
「宮きよめのようなよい行いをすれば」ではなく、
「祈り求め、疑わず、ただ信じるなら」でした。

よい行為は神さまに喜ばれますが、実現の条件とは必ずしもなりません。
むしろ、ただ信じる。
それだけで、すべてを作り何でも持っている、万能の主は手を貸してくださるのです。

信じる力の表し方 (マルコ11:19)


夕方になると、イエスとその弟子たちは、いつも都から外に出た。(マルコ11:19/新改訳)



イエスの命をねらっている律法学者・パリサイ派の人々は、イエスの教えに驚き尊敬の念を抱いているであろう人たちの手前、直接逮捕・殺害などをすることができませんでした。

夜になると、おそらくイエスを支持する人々は家に帰ってしまうために、身の危険が高まったと思われます。


危険な場所にわざわざ身を置かず、自分の身を守るために知恵を働かせる。
いまの私たちにも適用できる考え方だと思います。
ひょっとすると、当たり前すぎる考え方かもしれません。


「神様がついていれば、いつでもどこでも何でもできる!」という考え方もありますが、
現実的に考えて行動することは、決して神様を信じていないことにならないし、信仰がないことにはならないと考えます。

無一物。


あんなに沢山の物を持って、ここから出ていったはずなのに、帰ってきた時は無一物になりました。
ですから、もうナオミなどと呼ばないでください。主がわたしをこんな目に遭わせられたのですもの。
 (ルツ記1:21/現代訳)


カナンの地にいたときにききんに襲われたため、たくさんの財産を持って、モアブ人の地に逃げたナオミ。
夫、息子二人を亡くし、息子の嫁たちが残された。

嫁たちに、「実家に帰りなさい」と説得するナオミ。
嫁の一人オルパは実家に帰り、もう一人のルツ(ダビデ王、ひいてはイエスの系図において先祖)はルツとともにカナンの地に戻ります。

難を逃れたつもりが、夫と息子を亡くし財産をなくし、無一物で戻ってきた…。
"主が"
わたしをこんな目に遭わせられた。

神様が、自分にひどいことをした、と言っているわけですね。
どんな気持ちだったのでしょう。


女たちはナオミにこう言った。「主が祝福くださって、あなたは幸福です。
ルツによい結婚相手が与えられて、本当によかったわね。(ルツ記4:14/現代訳)


したいこと

したいことをメモ的にエントリ。φ(..)
公開することに意義がある(?)


1:もっとデザインセンスをあげたい。
意識/着眼点/思想とテクニックの両面から教えてくれる学校、書籍を探す。


2:企画のアイデア力を鍛えたい。→ひたすら実践
<ワクワク思考>
Rモードで着眼し、Lモードで枠を組み立て、Rモードで解く。


3:相手に心を開いて接したい。
感情を表現することから(?)
自分の感情を自覚し受け入れるところから。


4:文章力をあげたい。→I/O量を増やす
INはある。OUTをあげる。ブログに書き続ける。量を確保することで記述のための体力と自分なりのパターンを築いていく。



最近、自分のしたいことは何かということをあらめて考えてます。
すべきこと、できることから少し離れて。

純粋な自分の気持ちをなおざりにしすぎてきた気がするからです。


さて、今日もはりきって(はみでて)歩んでいこう!


※こんだけ元気になったこと自体に感謝です。(^人^)

他人についてとやかく言わない。

いつも喜んで生きていられたら…。
他人と比較することに汲々とせず、自由な気持ちで独立していられたら…。

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"Do not judge others, and you will not be judged. (MATTHEW 7:1/NLT)
他人をさばかないこと。自分がさばかれないように。
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神さまの目から見たら、僕たち人間はみな子どもたち。
子ども同士が、みにくくけなし合っているのを見るのは、親はイヤなもの。

一人ひとり大切なんだから。


「他の人についてアレコレ言わないようにしなさいな。
 それはきみがアレコレ言われないように、だよ。」


とやかく言われたくないのは誰でも同じ。
だったらとやかく言わないこと。


The Golden Rule / 黄金律
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"Do to others whatever you would like them to do to you. (MATTHEW 7:12/NLT)
自分にしてほしいように、他人にしなさい。
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神様を見上げて、他のみんなと協力しながら、それぞれのよい点を認めつつ、ほめあい、励まし合い、支え合い、祈り合って生きていく…それが愛に包まれた神の国。

信じてそこに入るか。
「そんなの理想論だ」と信じないで、そこに入らないか。

完璧に愛し合い続けることはできなくても、ある一瞬一瞬をとらえていけば、数多くの神の国をこの世でも体験できる、と僕は思う。



さばかない。変に気にしない。比較しない。

フラットに、素直に、楽しく。

飲んで食べて、おしゃべりして、笑顔で。


神さまはいつでも、それを与えようと待っているんだよね。
あとはそれを望み求めるだけだ。

祈ろう。


健康に感謝!
仕事に前向きに取り組めることに感謝!
息子がA型インフルエンザから快復・感謝!他の家族も守られて感謝!

アイデアがたくさん与えられすぎて生かせません。行動力・アウトプットを増してください。
すべてをやろうと欲張らず、適切な量を適切な期間・タイミングで推し進めていくことが出来ますように。
将来のキャリアについて迷いなく突き進めることができるように。そのための展望・Visionが与えられますように。

フィリピンはじめ台風による水害に苦しむ人々に必要な支援がすみやかに行き届き続けますように。
その働きに従事している方々もお守りください。
カンボジアの子どもたちによりよい教育をお与えください。よい学校環境をお与えください。
大人たちにも希望をお与えください。
日本で孤独に打ちひしがれ、絶望にいる方に、主よ、光をお与えください。お救いください。あわれんでください。


これを読まれている方の上に、神さまの祝福がありますように!
God bless you!!

生命保険に入るか、入らないか?

すでに別の生命保険に加入しているのですが、
さらに追加で加入するのかについて悩んでみました。

入院保険については、保険料と発生確率×発生時費用を比較することで、不要と判断したのですが、
さて生命保険はどうするか。

そこで、マタイ6:27。

Can all your worries add a single moment to your life? (MATTHEW 6:27/NLT)
心配したからといって、寿命が延びるわけでもない。

仮に、ちょっとばかり僕が早くこの世を去ったとしても、
即、家族が生きていけなくなるのか?

否。

そして、神様はきちんと家族の面倒を見てくれると信じている。
そう考えると、生命保険の増額は不要。


保険に入ることで、その後の家族の人生が守られる保証は…


ない。


それよりも、純粋な動機で神と他人に仕え、他人に与えることに回した方が「天に宝を積む」ことになる。

Store your treasures in heaven, where moths and rust cannot destroy, and thieves do not break in and steal.(MATTHEW 6:20/NLT)
天に宝を蓄えなさい。朽ちることもさびることもなく、盗人が押し入って盗んでいくこともない。


結論は、「生命保険に(これ以上)入らない」でした。


P.S.
英語の聖書は、読みやすいですね。
日本語の聖書よりも読むスピードは遅いですが、内容はわかりやすい。
なぜか希望があふれてくるんですね。
たいして英語が得意でもないのに不思議です。
日本語にはいろいろな思いが、くっついてくるからかなぁ。


決して神になんかなれないのに。

イチブトゼンブ/B'z 聴きつつ、ふと思ったこと。

人間は完全にはなりきれないこと。

なのに、完璧求めてしまう。

完全になろうとすること…。
神になろうとすること…。

聖書では、アダムが犯した罪(原罪)だった。

ひるがえって、自分を見るに完璧を目指して、病的なまでに、偏執的に、やりつづけてしまう。
決して神になんかなれないのに。

いつ、この性質から離れられるのか。
あるいは、受け入れられるのか。

どんな道具も、目的を超えることはできない。

すぐれた道具は、さまざまな目的を達成することに用いられる。

ともすれば、道具が目的以上に重要視されることもある。

しかし、やはり目的あっての道具。

目的がなければ、道具は何の役にも立たず捨てられてしまう。



さて、人間。

それは、神様の目的に従って用いられる器。

誤解を恐れずに言えば、神の道具。

愛されるほどに、用いられる道具。

その人格と自由は尊重されつつ、神様の目的のために用いられる。


道具は目的を超えることはできない。

どんなにすばらしい道具も、目的がなく存在していては、何の役にも立たない。


もちろん、神様はすぐに捨てることはしない。

道具が気づいていなくても、高ぶっていても、じっと待っている。

愛しているがゆえに、同じ目的に向けて共に働くことを楽しみに、じっと待っておられる。

その召し(Calling)が与えられますように。