『永遠の0』
2013年日本、144分
監督:山崎貴
主演:岡田准一
概要
零戦搭乗員の悲劇を描いた百田尚樹のベストセラーを、『ALWAYS』シリーズなどの監督・山崎貴が映画化した戦争ドラマ。祖父の歴史を調べる孫の視点から、“海軍一の臆病者”と呼ばれたパイロットの真実の姿を、現代と過去を交錯させながらつづっていく。主人公の特攻隊員役に、『天地明察』『図書館戦争』などの岡田准一。現代に生きる孫に三浦春馬がふんするほか、井上真央や夏八木勲など若手からベテランまで多彩な俳優が共演する。生と死を描く奥深い物語はもちろん、サザンオールスターズによる心にしみる主題歌にも注目。(Yahoo!映画より)
感想
はあ、憂鬱だな…こういうのはどう言うべきかな…
原作を読んだいそはらきょんかが目を赤く腫らして「本を読んでこんなにも涙を流したのは久しぶり」と言ったとき、「こんなドラマはくだらない!」とクサすのは無粋でしょうか。映画を観に行ったゆーゆーゆまなが「もっと知らなければいけない事、次の世代へと伝えていかないといけない事がたくさんあります」と言ったとき、「こんなのはファンタジーだ」などと否定せずに、「興味をもつキッカケになったならヨシ」と肯定すべきなのでしょうか。
「Yahoo!映画」でもなぜだか高評価みたいですし、この映画をクサすのは単に、ボクがこういう映画をすべてクサすアマノジャクだからで、この世界の中でボクがズレているだけ…なのかも知れません。だけど、ボクは自分の思ったことを言うしかないわけで…ありのままにレビューすることにしましょうか。
現代的思想…
現代的な思想を入れるんだったら、『WINDS OF GOD/ウインズ・オブ・ゴッド』のやり方しかないんだとボクは思います。90年代以降のこの手(どの手?)の作品の中で、もっとも(というか、ほとんど唯一)評価できるのが『ウインズ・オブ・ゴッド』です。それは、この作品においては、現代的な思想というものが、タイムスリップしてきた実際の現代人に託されているからです。『ウインズ・オブ・ゴッド』は良い…
『永遠の0』においても、現代と戦時中という二つの時間軸が存在しています(もちろんタイムスリップするわけではないですが)。だけど、話を聞いて、あっさり共感して涙を流してしまう孫2人の姿からは、端からそうした断絶など感じられようもありません。
相も変わらず、主人公は何故だかヒューマニスト(人道主義者)で、しかも先を見通せていて、優秀で…この手の物語では毎度おなじみの設定。まあこの手の設定に対するツッコミは再三してきた↓ので、今回は良いことにしましょう。
記号化…
この作品から、歴史という要素をすべて捨象して、単にドラマとしてみたらどういう評価になるでしょうか。「まあ、よく出来たお話だと思いますが…」ってのはもちろん皮肉なわけで、あまり良い話だとは思えないってのが正直なところです。とくに終盤の展開は、何だかファンタジーを飛び越えて、昼ドラか…?←良い言葉が見つからなかった
ただ、「よく出来た話」ってのは当たり前の話で、この作品は、まず「ドラマ」の骨格を決めておいて、あとから史実を当てはめていっているような感じを受けるんですよな。つまり、ドラマに史実が従属している(ボクは当然、その点を批判するわけですが)。
この作品では、著名な史実や著名な戦場をかいつまんで、それをパッチワークのように貼り付けている印象があります。物語を史実と結びつけるため、舞台背景にも個人の物語にも、どこかで聞いたことのあるようなエピソードを継ぎはぎしている。そんな印象があります(そのエピソードがどこから来たか、ボクはなんとなく分かってしまうんです)。
だから正直、「本を読んで書きました」って印象が拭えないんですよね。ひとつひとつのエピソードに血が通っていない。「絵を見ながら、絵を描いた」。そんな感じがするんです。だから、すべてが記号化してしまっていて、そこに血が通っている気がしない。そこに人間がいる気がしない。
ドラマを描きたいがために悪者にされてしまう人たち。「仲間」以外の戦友や上官たち(あるいは現代の友人たち)からは、葛藤や苦悩、つまり人間性が一切、感じられません。それは、彼らが、主人公の人道的キャラクターを際立たせるための役割を与えられた登場人物だからです。そこには血が通っていない。
本来は、それぞれの人に、それぞれの立場に、それぞれの葛藤があり、複雑なモザイク模様を成していた筈なのに、この作品では綺麗に両者は二分されています。それは結局、作品そのものの底の浅さを露呈しているだけです。
(これは原作そのものの問題かも知れませんが、山崎監督特有の悪者を仕立てる演出・脚本のせいかも知れません。正直、こういうやり方にはボクはヘドが出ます)
演出/VFX
この問題は戦場の描き方にも通じています。たしかにVFXの質は高い。でも、そこに人がいる感じがしないのです。人が死んでいっている感じがしないのです。見せ方も分かっちゃいない。間の抜けたカメラワーク、なんだその空戦機動は。まるで対空砲火もなく、散り散りに逃げ惑う人々の姿も見えない真珠湾攻撃。生ぬるい音楽。
ただ綺麗に爆発するだけのミッドウェー海戦。手持ち無沙汰でワイワイ騒いでいるだけの乗組員たち。緊迫した状況のなか、妙に間の抜けた議論を交わす搭乗員たち。「ここは空母ではなく、映画セットだ」。はっきりとそう自覚させられます。だから、人が焼け死ぬ場面を描いても、「嘘」に感じられてしまうのです。たしかに、CGやVFXの技術は上がっていきます。だけど、センスも想像力もなければ、良い映像なんて作れやしないんですよ。
大体、この監督はこの時代のことを、この戦争のことを、ちゃんと勉強しているようには見えません。ちゃんと向き合っているようには見えません。この問題はまた女性陣の演技の付け方にも通じています。岡田さんが帰ってきた時の井上さんの演技は何だありゃ。(現代の場面でも)簡単に共感して涙を流すフッキ―の演技は何だありゃ。全然、血が通ってるように見えないんですよ。
最期…(ちとネタバレします)
この映画が卑怯なのは、主人公の宮部久蔵が人を殺す場面を、一度も映さないというところです。あれだけの歴戦の戦闘機乗りならば、日中戦争にだって参加している筈なのに、それには触れられていません。戦場でだって逃げてばかりじゃいられない筈なのに、そこのところは誤魔化されています。
結局(ネタバレになりますけど)最後の特攻シーンで、その矛盾は耐え難いものになります。あれだけの人道主義者が、最期に大勢の敵兵を巻き込んで死ぬというのは、なにか違和感があります。もちろん、そういう時代だったと言えばそれまでですし、ボク自身としても、あそこは敵艦に突っ込むのが「普通」だと思います。
でも、この映画は、それまで、ずっと逃げ続けて「生き残れ」ということを言い続けているために、そうした(当時の)「普通」の観点、「誰かを守るために戦う」という観点が、スッポリ抜け落ちてしまっているんですよね。それが少しでも言われていたならば、あそこで敵艦に突っ込むというのは、ドラマの流れとしても感情としても納得いくんですけどね。
この映画では、それまでのドラマの流れとして、そういう描き方をしてきていないので、(特攻に行くというところまでは納得できても)あの最期は、なにか唐突な感じを受けてしまうのです(「敵兵だったら死んでも良いんかい!」みたいなね)。単純にドラマの流れという観点からのみ考えるならば、あそこで逡巡したり敵艦を避けて海に墜としたりしないってのはボクは違和感を覚えます。
そして、ここがもっとも卑怯なところです。それは、最期のシーンが映らないってことなんですよな。もう明らかに敵艦に突っ込むという寸前の状態から、カメラはコックピット内に切り替わり、主人公の顔を真っ正面から捉えたまま、やがてフェードアウトして終わる。だから、最期のシーンは映ってないんです。綺麗なまま終わる。(物語上はそのあと「蛇足」が続く訳ですが)
(原作で宮部の最期をどう描いているかは分かりませんが)これは監督が「逃げた」ようにボクには見えました。最後の最後に宮部が人を殺して終わるってのが、映画の流れとして描くのが不可能だったように思えるのです。これはボクは(ある意味では)理解できるんです。ああいう人物を造形して、ああいう流れできて、最後にあれは描けないですよ、やっぱり。それは、原作そのものが抱えている矛盾に由来しているんです。
それはつまり、この物語がファンタジーであるということ。宮部久蔵はファンタジーの中の人物であり、実際にあの時代に生きた人間ではなかった、ということです。ああいう「現代人」(人道主義的人間)が、ああいうドラマの流れのなかで、敵艦を巻き添えにするというのが腑に落ちない。その理由となる部分が、この物語からは欠落している。そんな感じがします。
宮崎さんときょんとゆまな…
宮崎さんの『風立ちぬ』も、そういう場面を描かないので、ある意味では卑怯なんです。でも少なくとも宮崎さんは、あの時代に向き合おうとはしています。だって、あの主人公は宮崎さん自身ですからね。「二郎」は堀越二郎であり堀辰雄であると共に、あの時代に少年期を生きた宮崎さん自身でもあるわけです。まあ、そこが評価の分かれるところでもあるんですが。
とは言え、宮崎さんの「百田批判」に組する積もりもないんです(宮崎さんは当事者本人が書く「戦記物」すら否定しますが、本人にはそれを書く資格がありますし、自己弁護する資格だってあるんです…というより、これが裁判であるならばむしろ自己弁護するべきだ。宮崎さんは自分はああいう形でフィクションで自己弁護しておきながら、人には自己弁護するなってのは卑怯です)。
それに、もともとボクは右翼の筈ですし。う~ん、なんだろうな…。きょんやゆまなの言うことを端から否定する積もりもないんです。結局、ボクはどっちつかずなんですが(この言葉によってボクは「中立」だと言いたいわけじゃないです)、だけど、なんだろう…
なんか、こう…ゴールデンスランバーを見た時にも感じたんですが、こういうものが素直に受け入れられる世界っていうのが、なんかね…それに対する宮崎さんや左翼の反応も全く受け入れがたいし…別に人が何をどう言おうがボクには関係ない筈なんですが、宮崎さんの作品や、きょんやゆまなのことは好きな筈なのに(大好きな筈なのに)、こういう世界には居たくないというか、な~んか…そのこと自体が、そう感じてしまうこと自体が胸にイヤ~な違和感を残すというか…なんだろうね。分かり辛い話で申し訳ない<(__)>
あ、そうそう…これだけは言えます。サザンオールスターズの主題歌は××。と言うより、そもそもバンドのカラーと桑田さんの声質がこの映画と全然あってないです。なにを考えてこういう…ま、良いか。
大体、オフィシャルの予告編がYouTubeに上げられていないってのは、広報はどういう了見で…ま、良いか。なんか色々どうでも良くなってしまうな…帰り道、曇り空の向こうに星は見えなかった。(あ…そうだ、『WINDS OF GOD』を見よう…)
☆☆☆(3.0)