azure bicycle -26ページ目

田中達也

 すこし昔、帝京高校のサッカー部の練習試合を見に行ったとき、1年生ながら背番号10を背負った彼は切り返し、切り返しの連続で全てを抜き去っていこうとしていました。少ないながらもその場の観衆は全員、彼の未来を思うと心が躍るようだったに違いありません。

 胸を打つプレーでしたねえ。代表の試合でこれほど熱中したのはワールドカップ以来かも。
 友人と観ていたのですが、久しぶりにメモに毎分ごとにバイタルエリアに入るパスの出入りを全部付けたりしたり。そして、日本中であったであろうサッカー談義に突入、楽しいよね(笑)。
 駒野も前任者よりよかったですね。
 関係ないですが、小野世代のアジアユースの日本予選、大宮で「加地!ボールをくれって云え!」とボーッと立っている右サイドに野次ったら、睨まれたのを不意に思い出しました。

ケーキは広島風お好み焼きだった

 昨日は夕食を外食で済ませて、帰宅したのは10時過ぎぐらい。
シャワーを浴びてから、6年ぶりの探偵小説の新刊を読み始めました。

 読み終えたときに空は白み始めてました。
徹夜かー、計画性ないなー、とちょっと落ち込みつつ私は、

 昨日は私が生まれた日だったと翌日気付き、気付いたのはこの世で自分だけ。

 ということに気付きました。

 大丈夫か!? こんな人生で!  

 追記・二日後に妹からメールがありました。いろんな意味で泣けるっ。

ウォータースライドをのぼれ




ドン・ウィンズロウ, 東江 一紀
ウォータースライドをのぼれ

 ネヴァダ州のド田舎で恋人のカレンと隠居生活をしていたニール・ケアリー。"元"探偵だったニールに舞い込んだ新たな仕事、それは今全米を賑わせている人気テレビキャスターのレイプ事件の被害者、ポリー・パジェットに人並みの会話ができるように教育すること。この「マイ・フェア・レディ」にいろんな思惑が絡み合い、またしてもニールの平穏な生活は崩れ去っていく…。

 今回は多重のカットインが物語に謎とスピードを加えていっているため、本来の魅力であったニールのナイーブさは隠れがちです。
 今までのシリーズでも終盤のクライマックスには多重カットインからの緊張感とスピード感はあったのですが、物語の一応の終着点を見る今巻においては、全編をそれで突き通せざるをえなかったのかも。疾走感をもってページをめくっていけたのですが、ニール自身にもっと浸りきりたかったというのも正直なところでした。。

 今回はアメリカにおけるファミリーというのも主軸の一つであって、レストランチェーンからマスコミ王にまでなったファミリー、裏社会を取り締まるマフィアのファミリー、アメリカ的幸せなファミリー像、等々さまざまなものが出てきます。
 そしてニールには、グレアム、レヴァイン、キタリッジ、そしてカレンと、そっと守られていて最後は巣立っていくという現象こそ、今作に登場した中でも唯一の家族らしいものであったと思います。

 6年ぶりのニールとの再会、堪能しました~。次の第5作は後日談的なものらしいので、これで一応の完結となるのかな。
 ニールには幸せを願って次の刊行を待ちたいのですが、いったいそのとき私は何歳になっているのか…。
 でも、今回の東江一紀の秀逸で手の込んだ翻訳を読むと、年月が掛かるのもさもありなん、と思えてもきますねえ。でも、出来るだけ早くしてくださいね♪(悪魔の微笑で)
 
 

今週の「刑事部屋」のコーナー

 今日から「刑事部屋」のブログに変わります。。「刑事部屋」の紹介

 今回の柴田恭兵さんも、ユーモアと真面目さが同居してて良かったですなあ。
 KABA.ちゃんともコメディチックに良い距離感で絡めるのが彼のすばらしいところだと思うのです。
 鑑識係の貫地谷しほりさんも、さっぱりとして明るい感じがにじみ出ていて良いですね。惚れる。。

 二人の息子の話を同時に明かしていくのは、凝っていましたね。最後の息子(娘?)の声をアテレコにしたのは、ギャグにしか見えませんでしたが(笑)。

 次回はガッツか、彼の演技は好きなので楽しみ。

GOTH





乙一
GOTH 夜の章



乙一
GOTH 僕の章

 人間の暗部に惹きつけられ、死に魅了されている高校生、「僕」と森野夜。彼らの周りには引き寄せられるように猟奇的な事件が起こり、そして彼らもそれらに引き寄せられていく。様々な事件に関わるのち、二人は自身の深淵にも触れていくことになる…。

 森野はプリンセスで「僕」はナイト、というのはコミック版の「GOTH」の後書きで乙一が云っていたとおりで、必ずラストに用意されているどんでん返しと合わせて、とても楽しませてくれる短編集です。
 「犬」のラストはやられましたねえ。ネタバレしてえ! 「声」のラストは、コミック版を先に読んでいた所為で分かってしまっていたのが悔しすぎる、まあ仕様がないですけど。。

 乙一作品全般に云えるのですが、おちゃらけているように見える後書きも含め、彼の文章には一切の自我、自己主張がないんですよね。印刷されている文字の一つ一つには確かに意味は存在するのですが、そのインクの成分には何も含まれていない、と云えばいいのか。「小生物語」というエッセイとも日記ともいえる本でさえ、乙一の実像は不確かです。
 これは明らかに恣意的で、そこに実像が隠されているのだとすれば、それは今作のどんなグロテスクな描写よりもゾッとする瞬間です。

 これで乙一の刊行分は全部読んだのかな。なんでも「ジョジョの奇妙な冒険」のノベライズにここ数年取りかかっていて、2000枚書いたところで納得がいかずに全部廃棄したとか。
 …オイオイ! それきっと面白いから! 読ませてください。。