おおきく振りかぶって (5)

ひぐち アサ
おおきく振りかぶって Vol.5 (5)
おっもしろいなー。こんな緊迫した試合展開の野球漫画を読んだのは久しぶりかも。
勝利へと向かう力強さと波乱の予感を織りまぜながら、一球一球ごとにキャラクタがらしい行動を起こしていくんですよね。そして前巻まで積み上げてきた実力の理由が結実して、面白くないわけがないですよ。
けれど、この展開スピードは、「川三番地」級…。6巻を早く、私に。。
「家族のそれから」 「ヤサシイワタシ」では、過剰な量の台詞での吐露がせっかくのストーリーを台無しにしていて、複雑なストーリーならばもっとシンプルにしなきゃ、と感じていたのですが、もう云いたいことは全部云う、というのはひぐちアサの性質なんですね。
今作もやたらと喋らせているのですが、瑞々しいスポーツ少年の言葉とは相性が良さそう。適度に挟まれる三橋のあえぎが、いいアクセントなのかな。
試合中に泣いちゃう阿部くんが堪らなかった。。
夏目友人帳 (1)

緑川 ゆき
夏目友人帳 1 (1)
物の怪が視えてしまう少年、夏目。彼と同じ性質だった祖母、夏目レイコが遺した「夏目友人帳」。それは彼女が下僕にした物の怪の名を書き記したものだった。
名を返してほしい物の怪、夏目に付きまとうニャンコ先生、そして世間から理解をされずに生きてきた、夏目。「夏目友人帳」が少しずつ何かを変えていったり無かったり…。
身よりもなく、おまけに視えざるものが視える己の性質が生む周囲との断絶のおかげで、高校生の夏目の中には、優しさと諦めが常にせめぎ合っているんですね。
そんな自分を隔絶させた原因でもある物の怪たちが、夏目友人帳の出現によって一転、繋がりのパイプになっていくのです。その過程はとても緩やかで、モノローグはすべて夏目の優しさから出てきた言葉というのが、暖かく胸に響きます。
出色なのは第四話でしょうか。
こんなに想い慕っているのに人間には決して視えない物の怪。しかしたった一度の小さな奇跡で、物の怪と人間は出逢うことが出来た。
奇跡は優しい物の怪と夏目の言葉。
「優しいものは好きです。だから人が好きです」
「僕も人が好きだよ。懸命に生きる心が好きだよ」
優しさだけで胸を詰まらせる。これは本当の物語ですよねえ。ほんと泣けた…。
いつか書かねばと想っていたのですが、「まんが王倶楽部」の星野さん、いつも素敵な本のオススメ、ありがとうございます! あなたのレビューは私の目標です! 未だ「まんが王倶楽部」で買ったこと無いですけど!
最後の息子

吉田 修一
最後の息子
3編が収録されているのですが、なんといっても高校の水泳部を舞台にした「Water」が素晴らしいのです。
高校生の無自覚に放たれる潔癖さが、簡潔なセンテンスとテンポのいい会話によって十二分に表現されています。兄の死、その死を受け入れられず心を病む母、男色かもしれない友人、進学問題、そして気になる女の子。潔癖さとは、それらに真正面からぶつかり、暖かく見つめることだと教えてくれるのです。
もう今にも大人になろうとしている主人公の少年にとって、目に映る、身に起こるすべてのことが成長の助力となっていくのは、もうそれだけで胸を打つんですね。
クライマックス、最後の夏に全国大会に行けるかどうかのリレー、主人公とライバルはほぼ同着、電光掲示板を見る主人公。…ここで結果は分からずに物語は終わりを迎えるのですが、きっと主人公の少年は電光掲示板を見たときに大人になってしまったのでしょう。その時に、青春小説としてのこの物語の役目は終わってしまったのです。
この青春の、命を燃やし尽くすような時代に思うのは、後悔か、懐かしさか。僕はどちらでもいいと思う。あらゆる時間は等価だと僕は思う。そして、後悔しちゃうような自分もナカナカなものだと、僕は思う。
ヴィンランド・サガ (2)

幸村 誠
ヴィンランド・サガ 2 (2)
トルフィンの復讐の理由。壮絶で格好いいものでしたねえ。最強のまま逝ってしまうというのも、晴らしきれない後悔を残してしまうのでしょう。
英雄の息子はよく復讐の炎に身を焦がしてしまうのですが、英雄ならば息子を悲しみも分かる男に育てておけよ、とは思ってしまいます。が、まあ、まだトルフィンは幼なすぎたのでしょうかね、「よかった…とりあえ…ず…」という台詞には息子を復讐鬼にしてしまうという気持ちも込められているのでしょうから、悲しすぎますね…。
未完の傑作、って匂いがもの凄かったりもするのですが、追いかけないわけにはいかない作品ですよねえ。掲載がアフタヌーンに移ろうがなんだろうが、じっと次巻を待つばかりですよ。
赤目四十八瀧心中未遂

車谷 長吉
赤目四十八瀧心中未遂
昭和53年、生島は二十代の終わりに突如職を辞め、その日暮らし、流失の生活に入った。流れ着いた尼ヶ崎のアパートで生島は、ひねもすモツを串に刺す仕事をしていた。
底辺の生活を漂流するなか、絶世の美人、アヤ子と逃避行することになってしまう生島は、自分の本質というものが徐々に分かっていく…。第119回直木賞受賞。
作品の構造は、逆説的な無頼の物語となっていて、無頼の徒の中に自虐的なインテリ崩れが入っていくことで、異質なものから見える風景として、真の主役となっている尼ヶ崎の世界が映えていくのです。
生島の感情は常に刹那的で、急激な場面転換と併せて、読者をどことなく不安なところに置いたまま話が進んでいくんですね。これは間違いなく私小説であり、不安定な不安感はその醍醐味であるのです。
それにしても、なんと人間の心の機微を淡々と正確に描き出す小説なのでしょうか。まだ本格的な消費の時代に入る手前の、ずっと底辺を彷徨ってきていた人々の諦観と悲しみと圧倒的な強さ。読者というぬるま湯の中からでさえ、彼らの幸せを願わずにいられないというのは、車谷長吉の描写力の賜物であると思います。
そして土壇場に見せるアヤ子の決断と表情の切なさは、悲恋というにはあまりに厳しく、胸を締めつけます。ただ、それを引き立たせているものは、ずっと作中を覆う厳しいのか優しいのかが判然としない世界観のゆえなのです。
どことなく厳しくて激しく、そしてどことなく悲しい物語でした。