こんにちは、タロット占い師・守田のり子です。
咳が治まらないので、
朝から花市場に仕入れに行った後、
かかりつけの呼吸器内科を受診してきました。
やはり風邪を通りこして、喘息の症状が出ていました
即、点滴。 そして投薬。
ずいぶん楽になりました。
お医者さんは、早めに行かないとダメですね(>_<)
この季節、皆さまも、気をつけて下さいね
さて、一昨日の記事は、ミクシーの方にも掲載したのですが、
色々な反響を頂きました↓
「重要な事に気がつきました!」
私の中で、繰り返し沸き起こる問題が、
『解決してもしても、いつも身近に“嫌いな人”がやってくる』
という事だったため、
「嫌い」という感情に特化して書いてしまいました。
そのため、伝わりにくい部分もあったようです。
なので、今日はもう少し具体的に、
書きたいと思います。
前回の記事で、私が言いたかったのは、
“感情” と “行動” をしっかり切り離しさえすれば、
自分の感情はそのまま受容れても大丈夫だ、
という事です。
説明のために例を挙げたいと思います。
私が、占いという仕事をする中で、
常に向き合っている、お客様の“感情”についてです。
その感情は、「殺したい」と「死にたい」。
誰かの事が、憎くて憎くてたまらない。
その存在を消したいとさえ思うくらい。
でも、そんな事を思っちゃいけないと、自分を責める。
なんとか、その気持ちを無くそうと頑張る。
でも、なくならない。
「死にたい」も同じです。
死にたいと思ってしまう、自分を責める。
そんなことを考える自分はダメな奴だと思う。
その気持ちを無くすため、色々頑張ってみる。
でも、なくならない。
仕事をして、キャリアを積んで、お金稼いで、成功して、
結婚して、子供を育てて。。。
外から見て、いくら恵まれた状態になったとしても、
消えない「死にたい」や「殺したい」という気持ち。
これらは、受け容れがたい感情です。
そんな気持ちをを持ってはいけないと、
なんとか解消したいと、もがいてしまいます。
でも、なくならない。
だったら、
否定せずに、その感情を認めてみて下さい。
それも、自分の一部なんだと。
自分はそういう感情を持つ人間なんだと。
認めたうえで、自分をもっと深く探ると、
「殺したいと思うほど、分かって欲しかった」
「死にたくなるほど、寂しかった」
という本当の感情が、意識の下に、隠れているかもしれません。
その感情をもったままのあなたで、
かまいません。
このとき大事なことは
“感情” と “行動” を完全に切り離すことです。
いくら思ってもいい。
でも、実行しない。
ここで、必ず守ってもらいたい事が一つあります。
それは、自分の感情と向き合おうとする時は、
「いくら感情に呑まれたとしても、行動に移せない状況」で、
お願いします。
その感情が、
「嫌い」なのであれば、嫌いな相手が居ない時。
「死にたい」のであれば、止めてくれる人と一緒に居る時。
「殺したい」のであれば、殺したい相手が居ない時。
その状況で、感情と向き合って下さい。
これは、必ず守って下さい。
いくら、行動に移さないと“頭で”決めていても、
“心”が揺らぐ時はあります。
そうなった時、誰も責任を取れませんから。
私の場合は、
どうも誰かを「殺したい」「嫌い」という感情を
受け容れられる時と、受け容れられない時があるようです。
受け容れられる例として。
私は、『悪者』だったおばあちゃんを、
「殺したい」ではなく、「殺さんとアカン」
と思っていました。
とにかく、“自分のため”ではなく、
“皆の幸せのために!”
という大義名分=勘違いが入っていたため、
気持ちは楽だったのです。
何しろ、おばあちゃんが大嫌いでしたからね。
私がどれだけおばあちゃんを嫌いやったか、
知らない方はコチラ↓
「悪者」
「悪者②」
「悪者③」
「悪者④」
「悪者最終回」
自分の祖母や、セクハラおやじなど、
自分にとって、“敵”と思える人に
「嫌い」という感情を持つのは、
何の苦もない。へっちゃらです。
そして、とことん嫌いになれた相手のことは、
不思議と、もう気にならないのです。
おばあちゃんの事をブログに書けたのも、
すでに手放している問題だからです。
私にとっての難関は、
「自分と仲が良い(と思っている)人」
「自分の大事な生徒さん(特にフラワーアレンジ教室)」
「自分が仲良くしたい親族」
などに対して、「嫌い」を自覚することでした。
受け容れられない例として。
例えば、私は、マルチ商法や、宗教、自己啓発セミナーの
強引な勧誘をしてくる人が嫌いです。
でも、それが、友達やったり、
生徒さんやったりすると、
イヤなくせに、『その人の事を嫌ったらアカン』とか
思っていたのです。
で、「嫌い」という感情を持て余して、モヤモヤしていました。
でも、これからは、きちんとその気持ちを味わいます。
味わいつくした先に、その感情を手放せるかどうか、
試してみます。
一緒に試してみませんか?
ただし、感情と行動は、切り離してお願いします。
咳が治まらないので、
朝から花市場に仕入れに行った後、
かかりつけの呼吸器内科を受診してきました。
やはり風邪を通りこして、喘息の症状が出ていました
即、点滴。 そして投薬。
ずいぶん楽になりました。
お医者さんは、早めに行かないとダメですね(>_<)
この季節、皆さまも、気をつけて下さいね
さて、一昨日の記事は、ミクシーの方にも掲載したのですが、
色々な反響を頂きました↓
「重要な事に気がつきました!」
私の中で、繰り返し沸き起こる問題が、
『解決してもしても、いつも身近に“嫌いな人”がやってくる』
という事だったため、
「嫌い」という感情に特化して書いてしまいました。
そのため、伝わりにくい部分もあったようです。
なので、今日はもう少し具体的に、
書きたいと思います。
前回の記事で、私が言いたかったのは、
“感情” と “行動” をしっかり切り離しさえすれば、
自分の感情はそのまま受容れても大丈夫だ、
という事です。
説明のために例を挙げたいと思います。
私が、占いという仕事をする中で、
常に向き合っている、お客様の“感情”についてです。
その感情は、「殺したい」と「死にたい」。
誰かの事が、憎くて憎くてたまらない。
その存在を消したいとさえ思うくらい。
でも、そんな事を思っちゃいけないと、自分を責める。
なんとか、その気持ちを無くそうと頑張る。
でも、なくならない。
「死にたい」も同じです。
死にたいと思ってしまう、自分を責める。
そんなことを考える自分はダメな奴だと思う。
その気持ちを無くすため、色々頑張ってみる。
でも、なくならない。
仕事をして、キャリアを積んで、お金稼いで、成功して、
結婚して、子供を育てて。。。
外から見て、いくら恵まれた状態になったとしても、
消えない「死にたい」や「殺したい」という気持ち。
これらは、受け容れがたい感情です。
そんな気持ちをを持ってはいけないと、
なんとか解消したいと、もがいてしまいます。
でも、なくならない。
だったら、
否定せずに、その感情を認めてみて下さい。
それも、自分の一部なんだと。
自分はそういう感情を持つ人間なんだと。
認めたうえで、自分をもっと深く探ると、
「殺したいと思うほど、分かって欲しかった」
「死にたくなるほど、寂しかった」
という本当の感情が、意識の下に、隠れているかもしれません。
その感情をもったままのあなたで、
かまいません。
このとき大事なことは
“感情” と “行動” を完全に切り離すことです。
いくら思ってもいい。
でも、実行しない。
ここで、必ず守ってもらいたい事が一つあります。
それは、自分の感情と向き合おうとする時は、
「いくら感情に呑まれたとしても、行動に移せない状況」で、
お願いします。
その感情が、
「嫌い」なのであれば、嫌いな相手が居ない時。
「死にたい」のであれば、止めてくれる人と一緒に居る時。
「殺したい」のであれば、殺したい相手が居ない時。
その状況で、感情と向き合って下さい。
これは、必ず守って下さい。
いくら、行動に移さないと“頭で”決めていても、
“心”が揺らぐ時はあります。
そうなった時、誰も責任を取れませんから。
私の場合は、
どうも誰かを「殺したい」「嫌い」という感情を
受け容れられる時と、受け容れられない時があるようです。
受け容れられる例として。
私は、『悪者』だったおばあちゃんを、
「殺したい」ではなく、「殺さんとアカン」
と思っていました。
とにかく、“自分のため”ではなく、
“皆の幸せのために!”
という大義名分=勘違いが入っていたため、
気持ちは楽だったのです。
何しろ、おばあちゃんが大嫌いでしたからね。
私がどれだけおばあちゃんを嫌いやったか、
知らない方はコチラ↓
「悪者」
「悪者②」
「悪者③」
「悪者④」
「悪者最終回」
自分の祖母や、セクハラおやじなど、
自分にとって、“敵”と思える人に
「嫌い」という感情を持つのは、
何の苦もない。へっちゃらです。
そして、とことん嫌いになれた相手のことは、
不思議と、もう気にならないのです。
おばあちゃんの事をブログに書けたのも、
すでに手放している問題だからです。
私にとっての難関は、
「自分と仲が良い(と思っている)人」
「自分の大事な生徒さん(特にフラワーアレンジ教室)」
「自分が仲良くしたい親族」
などに対して、「嫌い」を自覚することでした。
受け容れられない例として。
例えば、私は、マルチ商法や、宗教、自己啓発セミナーの
強引な勧誘をしてくる人が嫌いです。
でも、それが、友達やったり、
生徒さんやったりすると、
イヤなくせに、『その人の事を嫌ったらアカン』とか
思っていたのです。
で、「嫌い」という感情を持て余して、モヤモヤしていました。
でも、これからは、きちんとその気持ちを味わいます。
味わいつくした先に、その感情を手放せるかどうか、
試してみます。
一緒に試してみませんか?
ただし、感情と行動は、切り離してお願いします。