6/15(日)、白昼妄想。 | FLOATING JAM の 『続・浮いたり、沈んだり。』

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ここ最近のお出掛けパターンとしては、早朝に出て/深夜に帰って来る というのがほとんど。
従って 路線バスが走ってる時間帯には嵌らなかったわけなのですが、この日は久々にバスで静岡駅まで。



駅南のバス停に到着。




あっ、あった!




たまたま前日の新聞記事で見てたので事情は存じておりました。


しかし。

これはヒドイ。(笑)
一応 静岡市民として税金払ってる立場として、笑ってもよいですよね?






その新聞記事の概要としては、

 ~ サッカー W杯ブラジル大会開催に合わせて、JR静岡駅南口にある「ルノワール作『勝利のヴィーナス』像」に日本代表を応援するメッセージ看板が設置された。
   像は世界に 14体あるうちの 1体であるが認知度は高いとは言えず、市は W杯人気にあやかり像の PR も兼ねて看板を作った。

というもの。


ウチの新聞とは違いますが、静岡新聞の WEB 記事へのリンク。
(切れてたらスミマセン。)

 → アットエス (2014/06/06)
   『ルノワール彫刻に応援看板 13日から静岡駅南口』







この設置場所は私が利用するバス停のすぐ脇なので、これまで何度となく訪れております。
裸婦像が設置されていること自体は一応認識しておりましたが、

 ~ 街中でよく見掛ける、” 唐突な “ ブロンズ像(特に裸婦像)のひとつ。

というくらいの感覚。
基本、素通りでした。


確か、『みうらじゅん』氏 がこういう “ 唐突な “ 銅像(中でも特に異様にアクロバティックなポーズのもの)をネタにしてたと思います。




なんとな~く昔に聞きかじった うろ覚えの知識ですが、日本国内ではそういった彫刻などを街中に設置しようという運動(というか気運?)のようなものがあるらしく、恐らくこの像もそういった流れに乗っかったものかな~と思います。

 ~ 市民にもっと身近なところで芸術に触れる機会を提供したい。

みたいな崇高な理念の下に・・・って感じでしょうか。




この新聞記事で初めて「ルノワール作」と知りました。
ルノワールといったら『印象派の画家』というイメージしかなかったのですが、彫刻作品もあるんですね~。



「ルノワール作」とか「世界に 14体」とか聞くと、『肩書き崇拝主義』の私としては 途端に何だかとってもありがたいモノのように思えて来ます。

が。
それにしてもこの設置場所はあまりに “ 唐突 “ 過ぎる。
(これって、静岡駅北口の『徳川家康』&『竹千代』像 問題と同じ匂いがしなくもないけど、そっちはまた別の機会に。)




今回の “ 唐突の上塗り “ みたいな W杯看板設置、私の『妄想』では・・・

 ~ 毎年度末、像のメンテナンス費用予算を申請する度に
    「あんな、だ~れも知らない像のために・・・。」
  と嫌味を言われる市の担当者。
   知名度アップのための苦肉の策として捻り出したのが、今回の W杯便乗!



まあ、たまたま『勝利のヴィーナス』ってことなので、そこに結びつけたということで 100歩譲って「容認」。



しか~し!!

その隣りに設置されてる「ルノワール作『洗濯する女』」の処遇は??



結果。
力技で ど~~~ん!!




『便乗』の『便乗』。
ひ、ヒドイ・・・。(笑)







これらの像の素性を ちょっとネットで検索。
私の『妄想』かと思ってましたが、あながち間違ってなさそうな気がして来た。


ますは、静岡市のオフシャルな情報。

 → 静岡市HP 『静岡駅南口駅前広場のルノワール彫刻』




先の 静岡新聞記事内にありますが、

 ~ 2体は1994年に整備された同広場のシンボルとして、計1億2900万円で購入した。しかし、せっかくの名品も市民にあまり知られていないと2012年に市監査委員から指摘された。

ってことで、すでに実際に批判の対象になっていた模様。


恐らく、当時その報道を受けて書かれたと思われるブログ記事に勝手にリンク。

 → 趣味多き弁護士の仕事と遊びの両面の報告 (2013/03/22)
   『ルノアール~こんなところに設置していいものか?』


 → わかったブログ (2013/04/16)
   『静岡駅南口のルノワール像は、1億2900万円』



一般的な市民感覚として妥当なところだと思います。





この『計1億2900万円』を どこから/どうやって捻出したのかは存じませんが、像を設置しただけで

 ~ さあ、” 芸術 “ に触れたまえ!

というのでは、さすがに「お役所仕事」との批判も免れないところでしょう。


“ モノ “ としての像設置はその端緒であるとして、その先の社会環境というか市民の意識の改革までイメージしないと意味ないんじゃないのかな~。




例えば、私が白昼堂々 これらの『裸婦像』を まじまじと “ 鑑賞 “ していたとしよう。



現状、そばを通りがかった親子連れの反応としては、

 「こら、○○ちゃん! そんな変なおじさんに近づいちゃダメよ!!」

ってのが関の山じゃなかろうか。



これが、

 「あら、あの上品な紳士。あのお方も きっと芸術に造詣がおありなのね。おほほほ・・・。」

みたいなところまで市民全体の意識を高めるってのがセットでないと。



まあ、そんな街に住みたいかどうかはアレですが・・・。






あと、そもそも

 「何で『裸婦像』?」

ってのは根本的な疑問として残りますけど。

待ち合わせ場所にするにしても、『裸婦像』の前ってのはね~。
(だいたい、こんなところで待ち合わせる人いませんけど。)


どうせ意味不明なら、もっと徹底的に意味不明な抽象的なオブジェとかの方が ある種の “ 安心感 “ は得られる気はする。







・・・というネタに、数行だけ触れておこうと思ったらこの有様。

この日の本題は次回に。(予定)







■ FJスズキ ■