昨年の12/20に手術をしているので、4ヶ月が経つのですね。

 

さっきお風呂に入っていたのですが、

4カ所の疵口のうち3カ所は「どこだろ?」状態。

お臍のところは私は子宮筋腫が大きかったため、「傷痕は残ります」と言われていたとおり、しっかりと痕になっています。

ちなみに摘出した画像を見たのですが、がんの病巣はちんまりしていて、むしろ子宮筋腫(1㎏くらい)の方にぎょっとしましたよ。

。゚(゚´Д`゚)゚。

 

がしかし。

 

50代です。

今更お臍出しなお洋服を着るわけでもなし(笑)

 

お仕事は手術2週間後、副業を開始(超繁忙期なので2月中旬まで休めなかった)

本業は荷物を持つこともあるので、リモートのみ。3月から本格復帰。

 

の筈が・・・

 

前にも書きましたが2月の下旬から

風邪をひいた!

だがインフルもコロナも陰性

高熱に何度か襲われる。

 

3月の上旬、治りかけた風邪が再発?!いやこれは風邪か?!

大病をすると、少しの体の変化に敏感になります。

で。

結局、腎盂腎炎だったことが発覚し、閑散期に入っていた副業は3月下旬まで全休、もちろん、本業もリモートすら減らしました。

 

この腎盂腎炎。

パニック発作と、食欲減退を連れてきやがりまして(あら、お口が悪い)

3月下旬までは辛かったですが、今はパニック発作も落ち着いてきて、食欲も戻りました。

 

だがしかぁし!

私の今年も目標は「体重を減らす」

コロナ渦以降増えた体重は、3月に5キロほど減りました。

ですから、それをキープしつつ、もう少し減らそうと思います。

ラジオ体操第一を毎日やり始めたのですが、少女時代はふふんと思っていたけれど、よくよくちゃんとやってみるとバランスの良い体操なのですね。

バカにしていた子ども時代の私に言ってやりたい(笑)

 

本業の本格的復帰は4月下旬、副業は4月の2週目から通常通り勤務しています。

 

術後、1ヶ月くらいは、かがむと「いたぁ・・・」と涙目になっていましたが、いつの間にやら痛くなくなっていました。

 

これから数年は定期検査が入ります。

今まで、仕事仕事で体のメンテナンスをろくにしてこなかったので、今年は心を入れ替えようと思います。

 

気にはかけるけれど、気にしすぎはきっと精神衛生上良くないので、

バランスの良い食事と、笑うことを心がけよう。

 

我が家は仏教ですが、とても信心深いとか檀家さんだったりとかはまったくないです。

父母の生前も、どちらも長子ではないのでお仏壇もなく。

ただ、祖母(母の母)の写真の前におりんが置いてあって、毎朝お水を取り替えていたくらいです。

信心深くもないけれど、不信心でもない、我が家です。

 

先日、母の葬儀に来てくださったお寺様から「新盆のお知らせ」が来て、(;゚〇゚)

そうだわ。

今年は母の新盆。

 

 

父が亡くなったあと、仏事はいろいろ覚えましたが、大きなものとして

49日法要(葬儀に来てくださったお寺様を個人的に依頼)

納骨

新盆

1周忌法要

3回忌法要

 

納骨~3回忌法要までは墓苑でお寺様を手配して頂きました。

 

父の仏事で知った事。

同じ仏教でも、○○宗○○派まであること。

えええ・・・

 

昨年亡くなった母の新盆が今年8月、1周忌が10月、来年の1月には父の七回忌、10月には母の三回忌。

 

おや。

だんだん頭がごちゃごちゃしてきたぞ(笑)

 

今年の仏事は新盆と1周忌。

来年がふたつの仏事。

 

そういえば、父も母も戒名は同じお寺様で授けて頂いたのですが、父の時は副住職だった息子さんが、母の時はご住職になっていました。

お父様は名誉ご住職になられたそうです。

お父様はめちゃくちゃ「ザ・ご住職」という重厚感がある方でしたが、息子さんの方は若い方らしいお話の仕方です。

しかし。

父の法要で、5人ほどさまざまなお寺様のご住職にお願いしてきましたが。

「声がいい」

ですよね、、皆さん。

 

父の墓所を探しているときに、せっかくのご縁でお通夜や葬儀に来て頂いたお寺様なので、墓所をそちらにしようか?という話もあったにはあったのですが、永代供養がなかった。

子どもがいないので、永代供養でないとお墓じまいとか残された人間が大変になってしまいます。

 

そういえば、母方の墓所は周りに親族が居るから良いのですが

父方の墓所は中国地方。

そして、全員関東住まい・・・

 

父方の墓所は一度移動しています。私が小学生の頃だったので記憶がおぼろげではあるのですが、数代前の長子の後妻の方が某新興宗教の方で、先祖代々のお墓の横にその宗教の墓石を置いちゃって親族一同呆然。

で、父の父と母だけ、改葬して、同じ県内の新しい墓所に。

思えば、あの時、何故に伯父の近くに改葬しなかったのだろう?

とちと疑問。

 

かなり遠いので、お墓参りはその改葬の時と、出張でその県を通過する際に途中下車した30年前くらい(それも私1人)しか行けていないです。

 

回忌法要は、ハッキリ言って残された者のためにあると思っています。

お経を上げて頂き、故人を偲び、手を合わせる。そんな心の平穏を故人が与えてくれる、と私個人の意見ですが思っています。

 

さぁさ。

お寺様に電話して、新盆の申し込みをせねば。

 

 

 

 

 

 

 

2020年の年が明けました。

闘病中の父を連れて、お見舞いにも行き、2人にしてあげました。

夫婦ですから、娘の私やダンナがいない方が話すこともあろうかと思ったのです。

父は、ショートステイの所長さんがとても良い人で、スポーツの話で盛り上がっているんだよ、など母に話したそうで、母も安心したようです。

 

母の脳幹からの出血は薬で止まり、リハビリをしている最中です。

1/29にA総合病院にリハビリのために転院することが決まり、まずは私が「面接」にA総合病院に行きました。

いや、確か名目は「面談」だったかな?

ソーシャルワーカーさんとの話し合いです。リハビリ病院なので長期入院を前提にするのですが、目安は1ヶ月半~2ヶ月ということです。

 

私の自宅からは、電車乗り継ぎがあり、40分くらいかかる場所ですが、何より病院内が明るいので、1ヶ月以上の長丁場になるであろうリハビリ病院ですから、A総合病院に決めましたが・・・

 

入院保証金が¥150,000

(;゚〇゚)

思わずケタを数えました。母が入院しているY総合病院も保証金は取りますが、¥70,000。

別に戻ってくるお金ですからいいんですけれど、長丁場の入院が前提のリハビリ病院は高いんだなぁ、と思った覚えがあります。

 

その時の母の状況。

○左手、左足に麻痺。ただし、支えがあれば歩ける

○構音障害。ただし、かなり軽い

の状態でした。

リハビリ病院では、朝から晩までシステマチックにリハビリ計画が立てられていて、一日中患者は忙しい、と初めて知りました。

 

Y総合病院でもリハビリはしてくださっているけれど、専門ではないので、寝ている時間も多くなる。

無事に面談を通過して、転院日は1/29と決まりました。

 

1/3に父はショートステイに戻り、私はショートステイと母の病院をぐるぐると巡る毎日。

そんな中、1/20に父がショートステイで体調を崩し、県立がんセンターに緊急搬送&即入院となってしまいました。末期がんなので覚悟はしていたのですが、緩和ケア病棟への申し込みを父自身でしました(ただし、空いていなかったので空き待ち)

私が仕事を休めない繁忙期だったのですが、なんとか時間をやりくりして1/26には母を連れて父の病室へ。

ちょうどOBのSさんとその息子ご夫妻&子どもが来ていて、強面なのに何故か子どもに好かれる父は嬉しそうでした。

 

 

 

このことは上記の記事にも書いてあります。

 

1/29、朝9:30にY総合病院に行き、看護師さんたちに見送られ母はA総合病院に転院しました。

Y総合病院はその後もお世話になるのですが、脳外科の担当医のY先生にはとてもお世話になりましたし、看護師さんたちもとても明るい方が多かったです。

A総合病院に到着して、病室でいろいろと説明して頂いている時、県立がんセンターから私のスマホに着信。

父の血圧が上がらず、意識はあるものの、来て頂きたい、とのこと。

母には「ちょっと県立がんセンターから呼ばれているから、行ってくるね」

とだけ伝えて、A総合病院を後にしました。

心配そうな母でしたが、とりあえず父の病院に急行。

 

 

その日のことは上記の記事に書いてあります。

 

 

 

父の葬儀の打ち合わせ中に倒れて、急遽A総合病院を退院扱いして(ソーシャルワーカーさん同士でめちゃくちゃ速い判断をしてくださった)、1/29に「お元気になってね~」と見送られたY総合病院に1/30に緊急搬送された母なのでした。

しかし……

葬儀場に駆けつけてくださった救急車はまことにシュールな絵図でした。

私はパニック発作を起こしたし

。゚(゚´Д`゚)゚。

 

2/5に、倒れた原因はてんかん発作では無いことが判明し(恐らく父のことの心労)、再びA総合病院への転院を調整。2/17に、ふたたびの転院が決まりました。

 

この月は本当に大変で、母のお見舞い、打ち合わせ、父の墓所決め、父の葬儀の振り込み(大金なので母自身が行かないと振り込めない(;´Д`)

そしてmgr家は、母の退院後の同居を前提としたお引っ越し準備。

2020年、1月・2月は慌ただしいなんてものじゃなかったです。

 

そして2020年といえば、暫く続くコロナ渦のはじまり。

3月以降は面会規制がかかってしまい、リハビリ病院には殆ど行けなかったのですが、この頃はまだ母も携帯でメールや通話が出来たので、父のお仏壇の相談などを電話でやりとりをしていました。

 

しかし。

リハビリ病院はめちゃくちゃスケジュールが組まれていて、母は体だけではなく言語リハビリも受けています。

 

3/18には、父の49日で久々に母と会い(※ただしコロナだったので、実家でOBのSさんご夫妻のみ参加)

 

リハビリは順調に進み、4/7に退院が決まりました。

介護認定は、要支援2が下りていたのですが、再認定をケアマネさんにお願いしていて、おそらく要介護2か3になるのでは?という感じでした。

 

引っ越して1ヶ月の賃貸だけれど綺麗で広々したマンションに母を迎え入れるのは、ホッとしたのと同時に、同居を快く受け入れてくれたダンナには感謝しかありません。

そして、2020年4月、母と、私、ダンナの3人での生活が始まりました。