冬の冷たい空気の中、父の実兄と実弟に連絡をし、病院内に戻ると、Sさんとダンナが母に付き添っていてくれました。

「おじさんたちに連絡をしたよ」

と伝えると、ありがとう、と返事。その後、父の顔を見に病室へ行くと、軽く薄化粧をしてくださっていました。病院内で亡くなるとお着物を着せてくださいます(勿論代金は発生します、確か¥3,000くらいだった気が)

それが朝6:00くらいの出来事で、私は看護師さんに呼ばれました。

 

そう、葬儀についての説明です。

私は生まれたときには既に父の両親、母の父親はもうおらず、母の母親(私からしてみれば祖母)は私が20代の半ばくらいに亡くなり葬儀に行っていますが、「取り仕切ったこと」など、今までありません。

ダンナのお母さんが亡くなった時には、祖母が亡くなった時の父の行動を思い出していました。家では縦のものを横にも動かさないような父が、祖母の葬儀では裏方でひっきりなしに動いていたことを思い出します。と、葬儀についてはこれくらいしか体験していない。

○病院から葬儀社一覧を渡される

○なるべく実家に近い所を探す

○少し落ち着いた母に相談する

最愛の夫を亡くして、なおかつ病気を抱えている母は昨夜殆ど寝ていません。でも、葬儀社リストの中からひとつ、母の友人の旦那様が亡くなった時に参列した場所で「とてもよい葬儀だった」と記憶していた、実家から車で10分ほどの葬儀社を選びました。駅からも徒歩5分という立地もあり、K社さんにお願いすることにしました。

 

その時6:30。

葬儀社は24時間営業でした。すぐに電話がつながり、病院名とお迎えの時間を聞かれます。

主治医のS先生と、ソーシャルワーカーのFさんが出勤する時間が8:30だったので、9:00にお願いできるか?と尋ねると、その時間なら間に合います、とのこと。わりと大きな葬儀社でした。

OBのSさんは、昨夜からずっとついていてくださいます。

「学生時代、教員だったお父さんにお世話になったから、僕にとっては兄貴のようなもの。気にしないでね」

と言ってくださいました。

その間、Sさんと母に軽食を食べてもらい、ダンナは「好きな物を買いなさい」とお金を渡し(笑)私は葬儀社との連絡や、病院とのやりとりをしていた記憶があり、ダンナに「食べなさい」とおむすびを口に放り込まれた記憶が・・・(;゚ロ゚)

 

ハッキリ言って、親孝行をしたか?と問われると、大学卒業後、好きなことを仕事にして、好きな仕事でフリーランスになって、結婚はしない、と長く実家にいて、うっかり結婚をし(笑)

なんなら、親孝行は「結婚をしたこと」くらいだなぁ、なんてダンナの顔をぼーっと見ながら思っていました。

 

8:30頃、ソーシャルワーカーのFさんが病室に入ってきて、まず母を気遣ってくださいました。

このFさんには本当にお世話になっていて、父もFさんのことが大好きだったようです。こちらが食材を渡すと、とても美味しいお料理になって返ってくるような思考能力、暖かい言葉、とても感謝しています。

すぐに主治医のS先生がやってきました。このS先生、いつもはむすーっとしているのですが、決して失礼というわけではなく、臨床医よりは研究医肌?と思ったこともあります。約1年間、父の主治医をしてくださった先生の目に、うっすらと涙が浮かんでいて、私、びっくり。

人は見かけで判断してはなりません。

「S先生、Fさん、ありがとうございました」

お礼を言い、K社さんが来てくださったので、病院を後にしました。亡くなったあとに通るルートが決められていて、地下(だったかな?)の不思議な空間を通って、父を葬儀場まで搬送して貰うことになりました。

なんといっても、そこから葬儀場までは車で2時間ほどかかります(朝なので幹線が渋滞する(;゚ロ゚)

 

その間、母のリハビリ病院に連絡したり、母は自分の親族に連絡をしたり、バタバタと過ごして、葬儀場に到着しました。

ここで、打ち合わせの前に大事なことを思い出します。喪服がない!いや、あるんですけれど、私もダンナも結婚後少しふくよか(良い言葉で言うなら(笑)になったので、サイズが合わないんですね。

葬儀の打ち合わせは、お昼過ぎから、ということで、OBのSさんとその息子さんに母を任せて、近くの百貨店でお買い物をしました。この際一式そろえてしまえ、と私の喪服、バッグ、靴、装飾品、ダンナのスーツ、靴、ネクタイ、しめて30万円なり・・・いや、仕方ないです、こればかりはいいものを買うとそのくらいします。

 

昼過ぎからSさん、Sさんの息子さん、私、ダンナ、で葬儀の打ち合わせに入ったのですが、当事者になったことのない私は、初耳だらけ。

Sさんが「葬儀社の言うなりになっているとものすごく金額が上がるので、気をつけるように」とアドバイスを頂きました。

 

大事なのは、火葬場が空いているか?で、市の火葬場は7日待ち、民間なら2/2にスケジュールが取れるということで(値段は4万円くらい違う)

2/1にお通夜、2/2に葬儀から火葬、とスケジュールを決めます。

何度か休憩を挟みながらの打ち合わせで、

○祭壇のグレード

○お棺選び

○お衣装選び

○お骨壺選び

○お通夜後の会食の手配

○お香典返しの選び

○火葬場へ行く人数と、そのあとの精進落としの手配

 

もうね、これってくらい、やることと考えることがある。決定権は母にあるので、母と一緒に選びました。

そして、休憩を挟みながらの打ち合わせ中、午後3:00くらいだったでしょうか。

 

私の横にいた母の体の重みが、私の肩にかかりました。

「あっ!!」

気を失ったんです、母。

 

「すみません!!救急車を呼んでください!!」私

 

幸いなことに、意識は取り戻したものの目の焦点が合っていなくて、脳幹血腫が大出血したら命に関わるので、葬儀場に来た救急車

(ものすごくシュールな絵面だった(;´Д`)

 

救急車は10分くらいで来てくれたのですが、これがね、問題でね、

1/29に母はリハビリ病院に転院しているので、本来はその病院に搬送しなければならない→しかしリハビリ病院には脳外科の専門医はいない→Y総合病院とAリハビリ病院のソーシャルワーカーさんが連絡を取り合い、リハビリ病院を急遽退院扱いにしてもらう→Y総合病院(昨日退院したばかりなのに(;゚ロ゚)に搬送。

 

葬儀についての打ち合わせはある程度は済んでいたので、また夜に来ます、と告げて救急車に乗り込みました。私は寝不足とビックリでパニック発作を起こし、ソラナックス早く効いてくれ!と思っていました。

あの時は、本気で、葬儀を2つしなくちゃならないかと思いました。

 

搬送されたY総合病院では、幸いなことにY先生がいらして、即入院。ただ、懸念していた脳幹からの出血はなく、てんかん発作かも?と検査をしてもらいました。

「ごめんね、ごめんね」っていう母に

「そんなこといいのよ、休んで」

と言うだけで精一杯。昨夜からの寝不足で、気を失ったのだと思います。

 

ここで、私はY先生から、「いますぐに命に関わる所見はない」と言われ、安心しました。いやですよ、早朝に父が亡くなったばかりなのに。

病棟の看護師さんに、父が亡くなったことを周知して頂いて、葬儀社に戻り、打ち合わせを再開します。

Sさんと息子さんは帰宅していて、OBの方々の参列人数などを確認して頂いていました。

何しろ、1/30→父が亡くなる、母が救急搬送、葬儀社との打ち合わせ

中1日で2/1と2/2のお通夜と葬儀についてきめなくてはなりません。

その時には、お寺様も手配して頂いて、戒名を決めるためのお電話も頂いています。宗派だけでも知っていて良かった、と思いました。

父はエンバーミングをお願いしていたので(今から思えば必要あったか?と思いますが、綺麗なお顔だったので結果的によしと思っています)、一度違う場所に移送してもらっていたので、その日はかなり遅い時間に自宅へ戻った私とダンナ。

くたくたヨレヨレの状態で、翌日の母の病院に行くことと、葬儀社へ行くスケジュールを立てました。