夕暮れ、公園の向かいにある古い個人病院へ入った。僕が診察を受けるわけではないのだが、そこの医師と話があったように思う。靴からスリッパに履き替えて頭を上げると、そこに大きな水槽のような、中には人がバラバラにされて何かの液に漬かっている。まだ生きているようだった。頭、手、足、胴体などいくつかの肉片が時折動く。まばたきをする。

術後の経過を見て、後にまた接合して元の体に戻すという。その説明で納得する僕も僕だった。肝心の用件については忘れた。この夢は幼い頃から何度か見ている。

趣味を増やそうとし、落語に詳しくなろうと思う。笑いは大事。造詣が深い知人がいて、彼に本を借りた。古典と新作、江戸と上方、大きく分けて4つに分類できるとしてその中で江戸古典落語に狙いを定める。まずは都内の寄席を知ろう。足繁く通うのは値が張って厳しいが、地道にやるつもり。

代々木公園で花見をする。友人を多数集めて、シートを敷いて、他の花見客にも囲まれながらという王道のそれは、人生で初かもしらん。こんなにもベタなことをやってしまった。しかも幹事的なポジションで。

花見をしたいという欲求が強かったわけではない。代々木公園といえば以前は毎週のように行ってジャンベを叩いていた。ここでの楽器の使用が禁止になってから、訪れることも極端に減った。ジャンベを通じて知り合った友人との付き合いが希薄になってしまったこともあり、コネクションをを強めることを今一度したかったのだ。酒よりもそんな友人思いの自分に少しく酔う。

寒いのがこれほどまに辛かったかと、痛感した冬だった。これは年齢によるものだろうか。来年はさらに辛いのか。先のことはよしとして、暖かいことがとにかく嬉しい。それだけで高ぶる。まさに陽気。

東京FMの「松本人志・高須光聖の放送室」が終わった。一つの番組が終わってこれだけ悲しいのは「ダウンタウンのごっつええ感じ」以来だと思う。どうやら僕は松本人志が好きなようだ。

自分自身は面白い人間ではないが、価値観の中で笑いに重きを置いている。その点で「放送室」は腹から笑えるだけでなく、勉強にもなる番組だった。残念でならない。