今年も元旦にブンレツグランマがホームから帰ってきた。彼女はこの日を楽しみにしていたようだが、目が完全に開くまで時間がかかった。最近ではほとんど目を閉じて暮らしているようで、視界に入るものへの興味が薄らいでいることがうかがえる。言葉もあまり発さない。選びに選んでこの日、最もはっきり喋った言葉は「きんとん」だった。栗は固いのであんを口に運んでやる。

日に日にこのブログの存在意義がなくなりつつあるが、年の瀬の節目ということで今年見た映画の総括をしよう。まず新作から。

・魂萌え!(阪本順治)
・聴かれた女(山本政志)

・叫(黒沢清)
・14歳(廣末哲万)
・ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習(ラリー・チャールズ)
・童貞。をプロデュース(松江哲明)
・いのちの食べかた(ニコラウス・ゲイハルター)

ドキュメントやそれに準ずるものが多めになった。映画の本数も減ってしまっては7本が限界だ。続いて旧作を、キリが良いところで3本。

・自由学校(渋谷実)
・からゆきさん(今村昌平)
・幕末太陽傳(川島雄三)

記憶が正しければテレビで放送するために作られた作品も交じる。ただこの3つは、見て心から感動した。選択をしていてやはり僕には映画だと実感した。来年は巻き返す。

忘年会と称された、と、ある、イベントに行った。ライブはそれぞれ良かったのだが、パフォーマンスの間に挟むスライドの何かが、全部いらない。アーティストだという女性が海外に行って、その時の模様を説明しながら写真を見させられても、知らない上に興味もないこちらとしては困るだけだった。会場となったそこの歴史、のような説明をされても、逆に見事といえるほど頭に入らない。
友人宅に泊まる。水炊きをして酒を飲んだ。「M-1」の録画を見てから「すべらない話」をリアルタイムで。お笑いづくし。しかし両方とも通常の破壊力に欠ける。過度の期待は禁物である。テレビのしがらみも再確認した。限界が近い。
三軒茶屋から帰ろうとすると大雨だった。コンビニでビニール傘を買った。店員が剥き身で渡す。店を出て、その傘を開こうとした時、僕の上着に引っかかって骨が1本折れた。デビュー前に故障するなんて、500円の代物が高くついた。それでも雨をしのぐには問題はない。それを刺して、家に着いて、不燃ごみに一緒くた。
今年は、こじゃれたカフェにおもむく機会が増えた1年だった。今まで縁遠い存在だったが、随分と行ったように思う。そういうところで感じる劣等感が、払拭されたかといえばそうでもない。今日は下北沢で。ともかく、人と会う日が多くなった。ジャンベを始めたこともそう。性格も変わっただろうか。社交的になったかも知らん。一人の時間が減ったことで考える時間も減り、良し悪しはまた別問題だ。
中日の契約更改が荒れている。四天王の一角である福留はメジャーに移籍し、残る岩瀬、井端、川上の越年が決まった。バランスは難しいものではあるが、編成部に敏腕ネゴシエーターがいるとスムーズになりそうだがいかに。

福留に関しては、もう、興味もない。5ツール・プレイヤーとして価値が高いことを認め、しかし言動に寒々しさを感じ、アンテナに引っかからなくなった。岩瀬は心情的に天井を作らないでも構わないのではないかと思う。失って、戦力的に最も痛いのは井端だろう。ただ妥当な数字ではないだろうか。ベースが高いということを考慮に入れてほしいと毎年常々、川上に思うのは彼の発言がクレバーではないから。決着は楽しみでもある。