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□ 八ヶ岳自然教室ってこんなところ □
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念願の「八ヶ岳自然教室」がいよいよ2016年5月開講します。
八ヶ岳自然教室を守ってくれるシンボルを八美里小屋に取り付けました。
ちょうど1年前、近くで死んだシカを見つけました(【八ヶ岳別荘ライフ・バードウォッチング】2015年は巣箱を6個に増量!そしてシカが死んでいた)。
そのとき、顎の骨はあったのに頭蓋骨が見つからなかったのが気になり、その現場に再度行ってみたところ、ありました。
まるで拾いに来るのを待っているかのように、ありました。
巡り合わせを信じ、彼女(雌鹿)にAnge(アンジュ)という名前をつけて、この八ヶ岳自然教室を守ってもらうことにしました。
そして、八ヶ岳自然教室のテーマカラーは、当時、大日本インクで父の教え子が特色でつくってくれた灰緑にすることにしました。
話は少し変わりますが……。
父は四半世紀にわたり埼玉大学で教鞭を執り、化学を通じて花鳥風月、人生と世界の歴史を語りました。
それでも語り尽くすことはできず、1962年自分たちで建てた八美里小屋(【八ヶ岳高原別荘便り・八美里ファーム】甲斐大泉で一番古い別荘「八美里小屋」は、未だ健在なり)にはじまり、寂心荘(この記事の終わりの方に出てきます)に多くの学生が訪れては時間を忘れて講義や議論をしていました。
その父が、私が小学生のころ甲斐大泉のこの地で私塾を開講したいと話してくれました。
世界中の学会を飛び回っていた父は、残念ながら私塾を開く時間を取ることもできずに、その夢は叶うことがありませんでした。
父が理想のとしたのは吉田松陰が率いた「松下村塾」でした。
その志をつむいで、私が開催する出版セミナーは「出版塾」と銘打ってきました。
そして、私が夢見たのが、小学校1年生のとき初めて縦走をして虜になり厳冬期の縦走まで何十回と登った八ヶ岳から教わった自然の楽しさ、自然の大切さ、森の温かさを子どもたちに伝えるということ。
そして、青春を山に駆けたいと思わせてくれたわが心の師のひとりである植村直己さんが、最後の登頂となったマッキンリーから帰ってきたら、北海道で開講したいと夢見た「植村直己自然学校」への憧れが胸から離れず、そんなことがいつかやれたらとずっと思ってきました。
それが「八ヶ岳自然教室」として、理事を務めたさせていただいている財団や多くの方のご尽力をいただき、この5月から養護施設の子どもたちを招いてはじまります。
「Etoile de Midi」の裏手のアカマツとカラマツ、そして栗の木を伐採しました。
家の方にかぶさるように伸びてしまったので、やむなくの伐採です。
明るくなったこの場所には低木を植えて小鳥たちが舞えるようにしたいと思います。
伐採したアカマツの樹齢はおおよそ、65年。
伐採するのは忍びなく、断腸の思いでしたが、傾いて生えてしまった樹木はいつか倒れる可能性が高くなるので、この段階で決断しました。
長い間この地を見守ってくれてありがとう。
こちらのカラマツもおおよそ樹齢65年です。
長い間この地を見守ってくれてありがとう。
空が広がりました。
こちらのクリの木は伐採する予定ではなかったのですが、2本のアカマツを伐採する際に、道連れとなってしまいました。
こちらはおおよそ樹齢50年です。
長い間この地を見守ってくれてありがとう。
八美里小屋とEtoile de Midiの間にあった栗の木は、花粉でテラスと屋根を痛めてしまうので、この機会に伐採しました。
こちらの木は毎年巣箱をかけていたので、地上から3m残しました。
おおよそ樹齢55年です。
長い間この地を見守ってくれてありがとう。
引き続き、巣箱をかけさせていただきます。
今年はこんな感じで、カラ類用の巣箱を4個とキビタキ用の巣箱を2個かけました。
伐採した丸太は八美里小屋の前に積んであるのですが、一部は椅子として使い、残りは蒔きとなります。
所沢の家にあった古い植木鉢やポットを持ってきて並べてみました。
一番左下(手前)にある小さな石の灯篭は祖父が本郷の家で池のそばに置いていたものを父が練馬の家に持ってきたものです。
庭の池の水も交換して、水盤が水漏れしていたので新しくしました(右)。
そして古い水盤はバードーフィーダーとして使うために、ファットボール用のバードフィーダー(右)の横に設置しました(右から2番目)。
手前の土が黒くなっている部分は、焚き火場の灰をたっぷりまきました。
焚き火場を少しリニューアルすることにしました。
溜まった灰をすべてかき出したらリヤカーに8杯もありました。
そして、石を積み直します。
この日の作業はここまでです。
ずいぶんスッキリしました。
燃えかすの中からコガネムシの幼虫が出てきました。
八美里小屋の中です。
といっても、ものすごかった状態を少し整理したあとです。
今までは八美里小屋を保存していこうと発想で何も使ってこなかったのですが、これからは修理したりリフォームしながら、納屋として大切に使っていこうと思います。
とりあえず、簡単に基礎を置き直して床を古材で貼り直そうと思います。
この八美里小屋と寂心荘を復活させようかと思っています。
翌朝はなんと氷が張り、外の水道が凍って水が出ませんでした。
春はそこまで来ている3月下旬の八美里ファームですが、まだまだ寒いです。
焚き火場で八美里小屋の古畳を燃やし始めた時、背後でバキバキッと爆音がしました。
クマでも出たのかと驚いたのですが、なんと、寂心荘の横の白樺が倒れ落ちました。
この高さから急に倒れて2つに割れました。
折れたところ見ると、なんとキツツキの穴がありました。高さからすると巣にしてはいないと思いますが、幹の半分以上穴を掘ってしまったのでは、白樺重たまったものではありません。
ずいぶんと耐えたのでしょうが、キツツキが深く掘った穴には水も溜まっていました。
これでは腐ってしまいます。
そういえば、寂心荘の前にはとても素敵なテラスがあったのですが、いつの間には朽ちていました。
もしこの白樺が倒れたとしたら、こちら側に倒れてくれるだろうか。
寂心荘側に倒れたら……ひとたまりもありません。
このカラマツが倒れたらどうなるんだろう???
完全に屋根に触れています……。
焚き火場の周りに砂利とブロックを敷いていきます。
伐採したアカマツの切り株を椅子に設置しました。
これで畳2場半分、燃やすのにほぼ半日。
計4場分燃やしました。
畳がもえるのは表面だけで、なかなか芯まで燃えないことがわかりました。
これも先人たちの知恵なのか。
畳を燃やした灰で椅子にした切り株をこすります、
防腐剤代わりです。
燃やしても燃やしても、表面だけしか燃えないんですね。
畳を燃やしながら外の流し台を修理です。
排水口にちょうど合うサイズの排水管を買ってきて、きれいに専用のボンドで固めました。
このボンド(接着剤)、1つ持っておくといろいろ重宝します。
ボンドウルトラ多用途SUクリアー 25ml |
排水管はこんな感じになりました。
八美里小屋の方は、ひとまず、畳をすべて外に出し、マットして使用していたウレタンを45リットルのゴミ袋12袋分捨てて、他の様々なゴミも4袋分捨てて、この狭い空間によくそんなにあったなと、感心してしまいました。
床には仮で材木をつぎはぎに置いてみました。
新しく設置した石も焼けて、いい感じの焚き火場になりました。
畳4畳分の灰は八美里ファーム2号地にたっぷり敷き詰めました。
そこにブドウの種と夏みかんの種をわんさか蒔いてみました
Eoile de Midiの中もいろいろと変わりました。
もう準備に時間があまりありませんが、できる限り万全の状態で「八ヶ岳自然教室」を開講したいと思います。