息子は小学校に入学しました。
息子が通う小学校は規模も小さく、2クラスで50人。
授業では先生の目も行き届き、担任の先生も、入学前に相談したことがある、娘を受け持っていただいた気心が知れた方でした。
国語や算数の授業が始まり、ひらがなが始まりましたが、やはり習得スピードが遅い。
文字が読めない、書けない。
本人は頑張りたい気持ちがあるけれども、心と脳が伴わないもどかしさを感じている様子。
ひらがなの練習はまだしも、何よりも息子の苦痛だったことが「本読み」。
毎晩毎晩、出される宿題の本読みに1時間かかります。
1文字1文字辿って読むことに必死なので、もちろん意味なんて分かりません。
毎晩毎晩、間違いを指摘されることで辛くなり、延々と続く文字の羅列を見て気は遠くなりやる気は削がれ、本読みをしようとするとため息ばかり。
当時、まだ発達障害やLDと疑いもしなかった私と主人はつきっきりで息子の本読みに付き添い、間違いを直していくことが大事だと教育していました。
学校で読むことで、言葉を覚えるというよりもリズムや音で慣れて少しずつ本読みの所要時間が短くなることはあるものの、読解はできていない様子。
算数は手を使うことで足し算と引き算はなんとか。
けれど文章題は苦手で、数字しか読まず、描かれている絵を頼りに解くばかりでした。
却ってきた国語のテストで初めて0点を目の当たりにし、ある不安を覚えました。
6月も終わりに近づくころ、私は担任の先生にある相談をしました。
「息子が、発達障害や学習障害であるという可能性はありませんか?」
私の姉の子はADHDで、LDを併発していました。
言葉の遅れから4歳でADHDを指摘。注意欠陥が強く出ている子でしたが、診断されたことを知らなければ、口数の少ない、心優しいマイペースな子でした。
11歳よりコンサータを内服開始。当時中学1年生でしたが普通学級で勉強できるレベルでした。
その子を生まれた時から我が子のようにかわいがっていた私には、状況がよく似ているあまりその疑念を捨てきれずにいました。
先生から「私もその可能性を捨てきれません」と返事を聞いた時、私の心は決まりました。
自分の子が発達障害ではという疑念を抱いた時、息子を見る目が変わっていくことがとても自然でした。
息子に起こっていることを少しでも理解したい気持ちは自分のエゴだとわかっていましたが、その気持ちは止められませんでした。主人との意見の食い違いもありましたが、ほぼ独断で発達検査の予約を取りました。
息子を見る目。
どうしてこの子はこんなに字が読めないんだろう
どうしてこんなに勉強が苦手なんだろう
そんな息子へのマイナスなイメージを、すべて発達障害への理由づけとすることで、息子への気持ちを置換していたのかもしれません。
そして7月下旬。
WISC-Ⅳの検査の結果、息子はASD(自閉症スペクトラム)・LD(IQ75のグレーゾーン)の診断がおりました。