息子から、
「父ちゃんいつも楽しそうでいいな~。早く大人になって仕事したい。」と言われてハッピーな気持ちになった小林です。
親だからとか関係なく、子どもから見てそんな大人に映っていることが嬉しい。
こういう言葉ひとつで、自分は息子から幸せを与えられていることを実感します。
仕事でも同じで、お客様や共に働く仲間、同志から与えられているコトって山ほどあるので、その中で幸せを実感します。
以前書いたように、時々「ハードづくりは簡単」とか、「お金儲けは簡単」という言い方をすると、
当たり前のように誤解を招くのですが、本当に言いたいのは、「お金を得ることを目的化した商売なら簡単」というコト。
言葉足らずですみません。
お金は必要だし、存続発展し続けるという点では僕も経営者なので、当然利益は追求します。
「お金儲けは簡単」と表現するのは、僕自身が商売をなめているんじゃなくて、逆に痛い経験をしたことで気づかされたことがあるからです。
少し話は逸れますが、
限りある人生を、何のために?どう生きていきたいのか?を考えるコトってあると思うのですが、
僕の場合はただただシンプルに、「幸せになりたい」です。
まぁ今も十分過ぎるくらい幸せなんですが、それを関わる人たちと広げていきたい、という感じ。
「幸せ」の定義は人それぞれ違うものの、だいたい根本は皆同じだと思っています。
「お金を持てば幸せになる」と思い込んでいる人の多さに驚くのですが、
お金そのもので幸せにはなれないし、お金はあくまでもツールにしか過ぎないので、
必要だしあればあるほど困らないけど、要は使い方ではないかと。
「腐るほどお金を持っていたら何に使いますか?」という質問を誰にしても、
「服買います」
「車買います」
「家買います」
「美味しいもの毎日食べます」
「世界旅行行きます」
「世界中に別荘持ちます」
と、ある一定の思いつくものが出尽くしたら、ほぼ皆さん
「寄付します」と答えられます。
結局「困っている人のために使いたい」になるんです。
「困っている人の役に立つことで、自分の良心も喜ぶ」。
つまり、誰かに与えるコトで自分が与えられるコトになる。
お金に関わらず、誰かに喜んでもらえると、逆に自分がハッピーを与えてもらうような感じです。
話を戻すと、
車屋に例えるなら、以前のように「プジョー専門店」を謳って仕組み化して儲けるのは簡単なんです。
ただ、途中から心が通い合っていなかった。
誰しも、お金を払う時は心底「ありがとう!」と気持ち良く払いたいと思うのですが、「○○円です」に対して「安くしてや」みたいなやり取りはお互いに通い合ってないワケです。
お互いが嬉しい・幸せを感じる取引、サービス(商品)とお金に心の通ったやり取りこそが商売の原点。
便利になればなるほどそうした原点は見失われがちだけど、
商売はどこまでいっても人で成り立っているので、そこを大切にし続ける自分でありたいし、そんな人たちと日々を大切に過ごしたい。
ともに幸せであり、ともに発展し続けられる社会を目指したいので、やりまっす^^