こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
ことば
人間のコミュニケーションには言葉が使われる。
言葉での意思疎通は完全ではない。
そう認識していないと、不調和が生じる。
今日、アマゾンの書籍レビューを見ていて想った。
ある作家が本の中に
「電車で移動するよりも歩く方がよい」
と書いている部分がある。
そして、違う箇所で、
「電車で移動するのは楽だ」
と書いている部分がある。
この二つを見て、矛盾しているとあった。
このとき、
そのふたつの部分だけを見ていると、
矛盾していると感じるのかもしれない。
しかしながら、この見方には欠けていることがある。
「そのときに書かれている状況を考慮していない」
ということが。
これは典型的な例のひとつ。
多くの誤解は、
「その部分だけの切り取り」
に起因する。
そのときの、
「立ち位置を考えに入れていない」
ということだ。
どんな状況で、
「その言葉が発せられたのか」
を理解していない。
意図的に、このことを利用する狡猾なものもいる。
テレビや新聞、有名人のニュースでもこれらは多々見かける。
悪意にも、善意にも使える。
その部分だけを切り取ると、本来とは違った、正しくない情報になる。
巨人に移籍した偽紳士も情報操作をしようと懸命だ。
言葉を文章で読むとき、
そのひとの生きている環境においても、受け取り方が異なってくる。
同じ宗教なのに、宗派によって教義が異なるのは、その例にあたる。
同じ文章の内容を信じていていも、解釈が異なるのだ。
もっとも、
「全てのひとが同じ理解をすることができる」
という考え方の方に無理があるとも言える。
言葉には、すべての情報を伝えることができない、限界があるから。
その理解の違い、考えのことなる隙間を埋めるために、より言葉を使うことになる。
でもやはり結局のところ、
そのひとの生きてきた道のりや、
いま生きている環境によって、
それは一様に同じでなく、ことなっていたり、変化したりする。
言葉を理解することは、
「多次元的な世界を理解すること」
と同じかもしれない。
複数の多くの階層の中で、その言葉の意味はいろんなふうに異なってくる。
同じことを言っても、全く逆の意味に理解することができる場合もある。
短い言葉は想像的。
長い言葉は冗長的。
言葉においても、
「シンプルイズベスト」
なのだろう。
芦屋の癒し人
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