こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
結果にこだわらない
ゴールはない。
プロセスがある。
プロセス、すなわち過程のこと。
結果にこだわるものは、結果が全てだと信じている。
実のところ、結果は全てではない。
むしろ、その逆。
過程が全てなのだ。
過程。
道のりに終わりはない。
目標に向かってひたすらすすむこと。
ここが最も大事なことだ。
勘違いしているものは、結果に一喜一憂する。
結果を求めないものは、結果がただの一つの通過点であることを知っている。
そう。ひとつの通り道の一点に過ぎない。
過程に重きを置くものは、結果に一喜一憂しない。
その先にあるであろう自分にフォーカスしているから。
我々は、結果を求められるシステムの中で生きている。
結果がすべて。
結果よければそれでよし。
そんなわけはない。
結果はその通り道の中の1箇所における果実に過ぎない。
結果に充足を求めるものは、そのものが考える場所に到達したとき、そこでプロセスが終わる。
先に進む、という発想がなくなる。
結果にこだわらない。
人が生きていく道の中で、それに目を向けないとき、永遠に道があることを知る。
道に終わりはない。
結果が終わりを意味する人にはそうではない。
自らの向上を望むとき、その道に終わりはないのだ。
芦屋の癒し人
こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
あるフェナカイト販売業者のお話

市場調査のため、私は時々フェナカイトの動向を調べています。
ある天然石のネットショップを見ていると、興味深い説明文を発見しました。
その販売者は自称霊能者で、見えないものが見えると主張している方です。
そのショップで目にしたフェナカイトの説明文が印象的で、
「ロシア産であろうとブラジル産であろうと、フェナカイトのパワーは変わらない」
という内容でした。
フェナカイトについてご存知ない方のために簡単に説明しますと、フェナカイトはスピリチュアルな石として非常に高い波動を持つと言われています。

市場調査のため、私は時々フェナカイトの動向を調べています。
ある天然石のネットショップを見ていると、興味深い説明文を発見しました。
その販売者は自称霊能者で、見えないものが見えると主張している方です。
そのショップで目にしたフェナカイトの説明文が印象的で、
「ロシア産であろうとブラジル産であろうと、フェナカイトのパワーは変わらない」
という内容でした。
フェナカイトについてご存知ない方のために簡単に説明しますと、フェナカイトはスピリチュアルな石として非常に高い波動を持つと言われています。
特にロシア産のフェナカイトは、そのエネルギーが非常に強いとされ、多くの人々に愛されています。
日本では特にロシア産フェナカイトが非常に人気です。
ロシア産でなければフェナカイトは要らない、という勢いです。
実のところ、私もロシア産フェナカイトが大好きです。
そのため、市場価格や流通量を調査する際には、
そのため、市場価格や流通量を調査する際には、
「ロシア産であるか否か」
が重要なポイントとなります。
販売者は通常、産地を明記していますが、稀に産地が記載されていない場合があります。
この場合、販売者がブラジル産などの他産地のフェナカイトを販売している可能性が高いと想像できます。
なぜならロシア産であれば、進んでそのことをアピールすればビジネスになりやすいからです。
フェナカイトに関して、私は純粋さを一番重視しています。
ロシア産の中でも、その石の純度がいちばん大切だと考えています。
そう考えると、原石よりも最も美しい部分だけをカットしたものがベストだと感じます。
物量的なパワーを重視する場合は、透明度の高い原石を選ぶことがベストです。
ただ、はじめにあげたショップの場合、フェナカイトをひとくくりにして断言しているところに大きな違和感を感じました。
ただ、はじめにあげたショップの場合、フェナカイトをひとくくりにして断言しているところに大きな違和感を感じました。
この方に問うてみたい。
「ロシア産であろうとブラジル産であろうと、レムリアン水晶のパワーも変わらない。」
と言えるのかと。
「ロシア産であろうとブラジル産であろうと、レムリアン水晶のパワーも変わらない。」
と言えるのかと。
この問いを通じて、石の産地や純度の違いが持つ意味を深く考えることができると思います。
形而上学において
形而上学において
「上にあるがごとく、下もかくあり」
という言葉があります。
私はこの格言を心に留めながら、フェナカイトの選定や販売を行っています。
最終的には、どのショップで購入するかは個人の自由です。
最終的には、どのショップで購入するかは個人の自由です。
ただし、購入する際には自分自身の目的と、石のエネルギーや純度をしっかりと見極めることが大切です。
このような考え方を持つことで、より自分自身に合った健全な選択ができると私は信じています。
芦屋の癒し人
こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
気づくこと
気づくことは大切だ。
気づくこと。
それは、意識していなかったことに目が向くこと。
気にしていなかったことを知るということだ。
気づきに大切なこと。
まず、素直であること。
次に、謙虚であること。
そして、知ること。
最後に行動すること。
この四段階を意識する。
そのまま、受け取って行動すればよいだけ。
だが、厄介な状態がある。
私が思うに、
「気づいていないのに、気づいていると思っている状態」
ということがある。
「深く考えず、表面的に起きた出来事だけに意識を向けている状態」
これもまたなかなか固い。
凝り固まった思考、凝り固まった感情、凝り固まった行動範囲。
自分自身の基準で判断する傾向が強い場合、それは当人は気づかないまま、同じ器の中で行ったり来たりしている液体のような状態になっている。
さらっとしておらず重たい。
気づくことで大切なこと。
気づいていないことに気付くこと。
少しわかりにくい表現だが、ここは大事な部分だ。
気づくことによって、目の前に新しい光が差し込んでくる。
そんなイメージを持って、気づくことに意識を向けるとよいと思います。
芦屋の癒し人
こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
雇い主に不利なことは言わない
マスメディアは営利企業だ。
利益追求を目指す社会組織。
自社の活動を支援してくれる企業からお金をもらっている。
なので、マスメディアは雇い主に不利なことは言わない。
マスメディアの中のテレビという存在。
お金を出してくれているスポンサーの損になることは報道しない。
お金を出してくれているスポンサーのCMを番組の間に流す。
企業側からすれば、番組よりも、CMを見てもらいたい。
それを見た視聴者が、その会社の商品を買う。
箱の中で、テレビを見せて、その商品を買ってもらえるように宣伝する。
馬の目の前にニンジンをぶら下げている、のと同じ構図だ。
それに関して、特に是非はない。
見たい人が見て、買いたい人が買う。
ただその行いがなされるだけ。
放送する会社は、スポンサーから収入を得る。
報道では、スポンサーの悪口は言わない。
これが基本姿勢。
このような状況で、偏りのない報道をできるか。
否、できない。
スポンサーが下りてしまうから、そんなことはできない。
民間企業の報道とは、その程度だと認識しておく。
偏向報道をする場合、情報は歪む。
いっそうのこと、報道しない方がよいものがある。
報道しない方がよいものだらけともいえる。
報道に正義などない。
あんまりないと覚えておこう。
利益追求の企業が善とする規範にそぐわないから、逆に真実を報道することは無理なのだ。
マスメディアの発表なんて、
スポーツの結果
その日に起きた出来事、
そのくらいしか正しいものはない。
天気にしたって、最近は正常でない。
なんてことを考えるのは、目の前が明るくなくなる。
だが、事実と真実をともに知りたい場合、頭の片隅に置いておくのがよい。
たくさんの人ごみの中で、落とし物を探すことは難しいのだ。
多くの情報の中で生きる現代の我々。
真実を見つけることは難しい。
芦屋の癒し人
こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
昔テレビで見たマンガ日本昔ばなしの話です。
私のその話がとても好きで気に入っています。
ですが、タイトルがどうしても思い出せずにいました。
先日調べてみると、明確ではないけれど、それらしきものを見つけました。
話の内容はまったく一致していたので安心しました。
次のお話です。
空を飛んだ孝行息子
昔々、ある村にとても孝行な若者がいました。彼は両親を大切にし、一生懸命働いていました。ある日、空を飛ぶ方法を知っているという噂を耳にし、その方法を知りたくてたまりませんでした。
若者はその方法を知っているという夫婦のもとを訪ねました。夫婦は若者をこき使おうと考えました。特に妻は非常にずる賢く、「何年か働けば空を飛ぶ方法を教えてやる」と約束しました。若者はその言葉を信じ、長い間、夫婦の家で働き続けました。
やがて約束の日がやってきました。若者は高い場所に連れて行かれ、妻は「両手を広げ、心から信じることが大切だ」と言いました。実際には、彼が手を離したときに落ちて死んでも構わないと思っていました。
若者は妻の言葉に従い、両手を広げて飛び降りました。しかし、彼は本当に空を飛ぶことができました。奇跡的に空を飛び、村に戻った若者はその後も孝行な生活を続けました。
これは昔話の話ですが、私はある意味、本当のことだなと思っています。
神の恩寵を与る、という意味でとても好きな話です。
ですが、いまだに正式なタイトルが分かっておらずです。
芦屋の癒し人




