光と闇のバランス | ライネライト ~ 光の道を追いかけて

ライネライト ~ 光の道を追いかけて

兵庫県芦屋市でライネライトを主宰して活動しています。どうぞよろしくお願いいたします。

こんにちは。芦屋の癒し人、松村です。

 

先ほどポッキー君の散歩に行くとキレイな三日月が見えました。

 

しなやかでありながら、鋭さも持ちあわせているかたちに感じました。

 

 

 

光と闇のバランス

 

光と闇のバランスについてです。

 

ひとの中には、誰にも光の部分と闇の部分があります。

 

例えるなら、生まれた時は、真っ白な球体のような光だけの状態。

 

 

 

それが、ある時に段々と白くない部分ができてきます。

 

そして、小さな子供の時に、ひとそれぞれがその人レベルで、白と黒の部分が出来あがります。

 

そこからが、

 

「そのひとの生きる人生の始まり」

 

だと私は考えています。

 

 

 

生まれた時から、よき母親、よき父親の環境の下で育ってきた子供は、

 

その始まりのレベルは高い状態にあると言えます。

 

 

 

ちょうど、白色と黒色でバランスを表す場合、

 

ごく普通のレベルで始まる人生を

 

「真っ白と真っ黒が半分ずつ」

 

として考えてみます。

 

すると、これに対して、始まりのレベルが高い状態は

 

「真っ白と、少し灰色がかった黒色」

 

として考えることができます。

 

 

 

これを、その人レベルの

 

「白色と黒色のバランス」

 

「光と闇のバランス」

 

と考えることにします。

 

 

 

私たち人間の霊的向上の過程を、

 

この白色と黒色のバランスで考えてみると、

 

非常にわかりやすいと思います。

 

 

 

向上していくと、黒色だった部分が灰色に変わっていきます。

 

それが進むと、その灰色の部分が薄い灰色になっていく。

 

そして灰色が白っぽい灰色に近づいていく。

 

もとの半分の白色だった部分の色に、もう一方の半分の黒色が灰色に、

 

そして、その灰色の色合いが限りなく白色に近づいていく。

 

私は、これが悟りと言われるまでの道筋だと思います。

 

 

 

また、そのバランスが、ある決まったレベル以上になった時にそのひとは、

 

「悟った」

 

という状態になると考えられます。

 

悟りというのは終着点ではなく、霊的向上における一つの通過点です。

 

すなわち悟りにもレベルがあるということです。

 

 

 

話は変わります。

 

なぜ私がこのようなことを考えるようになったのか。

 

それは、度々、キレイなエネルギーのひとを見たときに、その人の反応が気になったからでした。

 

 

 

彼らは言います。

 

「私のエネルギーはキレイなのですか?」

 

「たくさんドロドロした部分があると思っています」

 

「自分のエネルギーがキレイだと思ったことはなかったです」

 

 

 

私は思いました。

 

(これは、どういうことなのだろう?)

 

(ま、自分のエネルギーは自分ではわからないからな。。)

 

(まあ、逆に自分で自分のエネルギーがキレイだと思っている人間がいるのも奇妙だが。。)

 

 

 

私がその人に対して、

 

「エネルギーがキレイ」

 

と感じること。

 

それは、相対的なもの。

 

世間一般の平均的なエネルギーと比較して感じるもの。

 

 

 

もちろん私自身、意識的に

 

「この人はエネルギーがキレイ!」

 

「この人はエネルギーがキタナイ!」

 

などと思うことはまずない。

 

 

 

それは一般的に自分の感覚の中で、無意識的な感覚の基準をもっているのだろう。

 

それが、平均的なところからかけ離れている時に、

 

先ほどのようなコメントを相手に言う。

 

そういうことなのだろう。

 

 

 

話を元に戻します。

 

そういう思考をしたときに気づいた。

 

「エネルギーがキレイな人は、その人自身のバランスが高い状態にある」

 

ということ。

 

そういうことなのだ。

 

「別の人にとっては些細で問題ない事柄でも、その人のレベルでは問題があるレベルの事柄になる」

 

 

 

話が回りくどい気もするが、自分の考えていることを表現するのは難しい。

 

この問題を表現しようと、ブログ記事を何度も書こうと思ったがなかなか自分で納得できる文章が書けなかった。

 

今日やっと書いてみたのですが、

 

これは今の自分で表現できる内容としては、まずまず近い感じで書くことができました。

 

言葉や文字で表現するのには、かなり狭い限界があるものなのです。

 

この記事を書くために考えた図も下に載せておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

芦屋の癒し人