【読後感想】東京都同情塔 via @qudanrie | Do More with Less

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メインタイトルは尊敬するCG創設者の故小林彰太郎さんの書から引用しました

さてよくよく考えると私としては珍しく、芥川賞を受賞した作品を受賞して間もない時間間隔で読了しました。そのきっかけはやはりこのポストでしょう。

 

 

今どきAIを利用したなんて発言するとそれだけで不正をやったかの様に反応する人が多いのですが、そうではない事は引用記事をきちんと読めばわかります。そしてあまり変な反応をするとそれこそ作者の思う壺というかもてあそばれますよ。そんなインタビュー記事も既に出ています。

 

 

実際作品を読んでみればわかりますが、この作品の主題はそのAI云々には有りません。もちろんAIは道具としてこの作品を書くのにも使われたし、近未来にはもっと道具として使われるでしょう。ストーリーにもそんな位置付けで登場しますが主題ではない。

 

ではこの小説の主題は何なのか?

 

少なくともこの若い作者は日本語をとても大事にしている事がわかります。実際私は例によってKindleでまずサンプルを読んで買うと決意して全編読了した訳ですが、サンプルの段階でその思いが伝わり、この時点でまぎれもなく受賞に値する作品だと確信しました。

 

そして作者が大切にしているのはその日本語の中でも明らかに漢字を最も大事にしています。となると日本語の歴史の中で、我々日本人がいかに中国ルーツの漢字を使いこなして来たかとかに思いが飛びませんか?そして現代の我々はそれを一部ぞんざいに扱っています。だからこの小説で突きつけられているもう1つの主題が輪郭を表すのです。

 

そう主題の1つが日本語だとしたら、もう1つは政治的正しさ、いやもといあえて外来語でポリティカル・コレクトネスと言うべきでしょう。

 

東京都同情塔、我々日本人には俳句や和歌のリズムの様に染み入るこの固有名詞は、物語の中では一方でトーキョー・シンパシー・タワーと表現されます。全く同じモノをこういう風に漢字混じりの日本語で表現した場合と、(時としては正しくない和製の)英語のカタカナ表記とした場合とで、我々日本人は政治的に正しいかどうかの判定をくつがえすのですから滑稽ですね。

 

おそらくこの日本人の感情は(このブログで何回も紹介している井沢元彦氏の「逆説の日本史」に書かれている事の受け売りになりますが)、日本人あるいは日本語にとって言葉とはいつか廃れるモノ、つまり穢(ケガ)れるモノなのであり、言葉を発するとはそれを実際に引き起こしかねない不吉な行為です。

 

そんな切り口で東京五輪のために建てられた競技場、そして架空の刑務所いやそう言ってはいけないんだっけなえーと(このあたりは実際本を読んでどう言えばいいか探ってください)、、、を軸にストーリーが展開するのは、東京という活きた都市が舞台だからこそでしょうか。

 

その東京を舞台に2つの主題のせめぎ合いの中でストーリーが展開するという大変読み応えの有る、いやもっとストレートに言って面白い本でした。

 

くり返しますが芥川賞を受賞したのは当然で、その意味だけでも一読をお勧めいたします。