社交ダンスを踊る時沢山のフィガーや運動表現を覚えなければ
楽しく踊る事は出来ないと思い日々習ったステップやルーティン
を間違いなく踊れる様に努力している方は多いかと思いますが
例え覚えた社交ダンスのアイテムを全て間違いなく演じても
ペアとして楽しく踊ることは出来ません。
間違いなく踊ると言う事は単に記憶の再現で有って過去の踊りを
周到して演ずる舞踏の世界ならば良いとしても社交ダンスに
於いては例えテキストを完璧に覚えても習ったフィガーや
ルーティンを間違いなく演じたとしても思い通りの楽しい
社交ダンスを演じる事は不可能と言えます。
問題は上手に楽しそうに踊っている多くの踊り手達が本当に
心から楽しく踊っていないからです。
いや楽しいよと言われればそれまでですが一人で演ずるなら
上手く踊れるのかも知れませんが社交ダンスは例え二人が
習った通り完璧に演じたとしてもその踊りがその時流れる
音楽とその時のお相手の心と身体の状態にマッチして
いなければ当然コンタクトは諍いの原因と成るのです。
楽しく踊っていると言う方が本当は楽しく無いと言える証拠は
ホールドを固めて順番を決めてしか踊れない場合が多いから
と言えるからです。
美しいホールドで完璧なステップワークで踊っている踊り手を
多く見て来ましたが彼らの多くはホールドで懸垂が出来る程
頑強に上体を固めながら踊っています。
そう互いに自分のステップワークや運動表現を習った通り
完璧に踊るにはホールドが崩れては出来ないからです。
まるで格闘技の選手が互いに組み合っているかのように
上体は力がみなぎって鉄棒の様でありながら笑顔が美しく
心と身体が完全に繋がっていないのが解ります。
とは言えこのような踊り方は日本に社交ダンスが本格的に
伝わって来た戦後から数十年に渡り行われて来た踊りで有り
その時代を社交ダンスと共に歩んできた人たちにとっては
何の不思議ではなく社交ダンスはその様に踊るものと
未だに思っている方が多いです。
かく言う私もアマチュアからプロになった頃は間違いなく
ステップを踏む事と鉄壁のホールドで踊っていましたが
日本人の踊りと海外のトップクラスの踊りが全く違っていて
その理由が解らず長く悩んだものです。
しかしながらその答えは難しいテクニックや運動表現にある
のではなく自分の身体が知っている事を解った時は既に
引退の時期を迎えていたのが今に思うと残念です。
社交ダンスは誰もが楽しく自由に踊れると言う理由が
とても簡単な事であったのを知ってようやく社交ダンスを
理解で来て初めて人生の後半に更なる踊りの魅力を
感じる様に成りブログを書くようにもなりました。
基本的なフィガーや運動表現の演じ方を習う事はとても
大切な事であり社交ダンスが上手に踊れるには絶対に
必要と言えますがどんなに魅力的なフィガーやルーティンを
踊ったとしても習った記憶のまま再現する事は危険です。
それは他人の考えで身体を動かすようなもので不自然な
運動表現を身体に強いる事に成り頑張れば頑張る程
ストレスを生む事に成ってしまいます。
ステップやフィガーを覚えたらその表現が自分の身体で
演じた結果の表現に成る様に進化させなければなりません。
特に初級の頃に習う全ての種目に共通のフィガーの表現は
自分の身体を使って上肢と下肢の使い方を取り入れながら
ステップワークや運動表現を創り変える事が大切です。
ステップを新たに生むと言うのではなく覚えたステップや
運動表現を行う前に心と身体が繋がった運動表現です。
外見的には同じステップに見えてその音楽表現は心が入り
気持が創り上げたものと成り遥かに豊かで魅力的に成ります。
この事はお相手にとっては別人の踊りの様に感じるもので
如何に習ったままの踊りをする事がお相手を苦しませる
結果と成るかが解ります。
心技体が備わっている踊り手が踊るベーシックは
誰もが知っていて簡単に演じているステップであっても
まるで全く違った音楽表現に感じます。
それはステップにペアの心が宿っているからです。
どんなに素敵なフィガーでも覚えたそのままで演じると
お相手も見ている人も心が冷えてしまいます。
自分の心と身体に問いかけながらどの様に踊りたいのか
聞き取りながら新たなる踊りを創ることが大切です。