社交ダンスは他のスポーツと同じく其々のパフォーマンスの
違いを感じながらより魅力的な運動表現を目指す芸術的
スポーツと言えます。その為競技会は見る人の心を感動
させるだけでなく自分との踊りの違いに多くの事を学び
より魅力的な踊りを目指す力ともなります。
それ故社交ダンスの踊り手達はその時に最も美しく魅力的な
ペアに強く影響を受け少しでも音楽表現が近づく様努力を
重ねている事が多いです。
時代によってトップクラスの踊りが踊り手達のお手本と成り
流行の音楽表現が生み出されました。
社交ダンスの基本的な踊り方以上に踊り手達は憧れのペアの
素敵な音楽表現に魅せられ踊り方を真似る事も多く有りました。
今になって思うと随分無理な踊り方で有ったり運動表現として
余り奨められない踊り方も有って社交ダンスは流行に大きく
影響を受けて来たことが解ります。
しかしながら今や社会は大きく変わり人々の価値観も全く
想像もしなかった生き方を示す様に成って来ました。
従来の社会的価値を決める外見的な豊かさや見た目以上に
個人の心の存在が大きくクローズアップされて来ました。
この事は社交ダンスを踊る人達にも少なからず影響を与え
ただ社交ダンスが上手に成るだけや競技会で優秀な成績を
上げる事だけでは到底満足できない踊り手が増えて来ました。
従来は競技会で踊りの優劣を決めたりその時代のトップの
踊り手達のパフォーマンスを中心に踊りを創り上げていたのが
如何に自分自身が満足できるかと言う本当の意味での
自己満足が求められる時代と成って来ました。
誰かと比較して優れていると判断される事で自分の価値を
見出して来た時代から他の踊り手とは異なった独自の
価値観と満足を得られる事を求める様に成って来たのです。
誰かと比較して演じるのではなく自分の心が感じ生み出した
音楽表現を目指す踊り手が増えて来たのです。
誰とでも踊れる基本的な踊り方やフィガーテクニックは
以前と変わらず身に付けなければなりませんが与えられた
ルーティンを自分自身の解釈で演ずる必要性を感じる事で
本当に満足できる音楽表現を生み出す事を求める様に
変わってきているのです。
今や何でも手に入る時代ですが本当に自分自身が満足出来る物は
皆無と言っての良いのです。誰かの考えや提案に自分が合わせ
便利とか見た目の美しさで自分を満足させようとしているのに
人々は気付き初めているのです。
どんなに素晴らしい商品であっても次々に新しいものが出て
それまでの物は廃棄されると言うシステムが私達の生活を
豊かに見えて常に欲求不満に立たされる状態を生んでいます。
社交ダンスも誰かの踊りを真似て間違いなく演ずる事で
満足を得ようとしている踊り手の中に自分自身の心が
本当に満足していない事を感じている人が増えているのです。
どんなに素晴らしいルーティンを学んでも魅力的な音楽表現を
習ったとしても間違いなく演ずる事の満足感はあったとしても
一人一人の心の中を本当に満足させる事は出来ないのです。
人と違う事をする事に対する抵抗が有った日本人が自らの個性を
主張する事に恐れる事無く挑み始めているのです。
当然同じルーティンで踊っていたとしてもペアによって表現は
著しく違っている事もありペアに最も相応しい音楽表現が
一番美しいとする風潮が生まれてきているのです。
本当の美しさや楽しさが本当の幸せとは何かという日本人の
心に有る共通の思いを示し始めているのです。
誰もが喜びを感じ幸せを抱く事は決して同じことではなく
一人一人の踊りに対する価値観が決める事なのです。
当然比較対象を基準とした審査である競技会の踊りの審査も
大きく違ってきて当然と言えます。
社交ダンスのみならず私達日本人は何を求めて生きて行くか
未来の道を目指して行くかを考える時でも有るのです。
一人一人の思いに耳を傾けると言う事は自分自身の思いも
シッカリと感じられる事が重要です。
一人一人の思いが違う事を感じられる事に因り自分の思いを
明確にする事が出来ペアとしての其々の違いを知る事で
どの様に踊ったら一番良いのかが解って来るのです。
信じられる自分を育てる事はお相手にとっても安心して
フォローする事が出来互いの思いを失うことなく踊りに
反映する事が出来るのです。
ダンス技術を取り除いたら何の魅力も無い様では余りにも
寂しいと言えます。
踊る事で人としての魅力がより高まる事が大切です。
本当の幸せを感じる為には本当の自分を見つける事です。