スポーツや社交ダンスが上手に楽しく踊れるかどうかは
自分の身体の中の筋肉が如何に上手く繋げられるかに有り
知識や練習量ではありません。
もちろん演ずる為のフィガーや運動表現を覚える事は
とても大切なのですがどんなに多くの知識を身に付けても
多くの時間を筋肉トレーニングにつぎ込んだとしても
思い通り楽しく踊れるとは限りません。
テレビやネットから得られる情報の多くは視覚的な印象が
とても強くどうしても見た印象をそのまま取り入れがちで
様々な分野のエキスパートが演ずるパフォーマンスを
自分が望む姿と思い込みそのまま取り入れようとして
苦労している踊り手が多くいます。
社交ダンスの世界でも美しい姿や魅力的な運動表現が
沢山の人の心をつかみその姿を目標に頑張っている方も
少なくないのではないでしょうか。
テキストやレッスンで習ったフィガーをそのまま自分の
表現とし素晴らしい運動表現を身に付けようと日々激しい
トレーニングを行っている人もいます。
しかしながらそれほどにも努力しても自分が望むように
思うがまま楽しく踊れる人はほんの一部と言えます。
殆どの人が思い通り踊れなかったり途中で挫折して
諦めているのが現状です。
長い苦しいトレーニングを行い踊る為の技術と体力を
身に付けた人だけが本当に社交ダンスを楽しめると
思っている方も多いかと思いますが心から楽しく
自由に踊っている人の中には特別のトレーニングを
したり沢山の技術を身に付けていないのに外見的に
エキスパートと変わらない美しい踊りをしている方も
いるのです。
頑張っても思い通り踊れない方からすると一体どの様に
練習しているのか特別の才能が有るのではと思って
自分との差を大きく感じてしまいます。
しかしながら私達の身体はそれほど機能や能力の差は
無いと言うのが医学的見解です。
誰もがエキスパートに成れる運動機能を持っています。
なのにこれほどにも個人差が生まれるのは何故でしょう。
一番の原因はやはり自分の身体の機能を知らないで
見た目や知識だけで踊ろうとしている事です。
練習はフィガーや運動表現を覚える事も大事ですが
それらの踊る為のアイテムを自分の身体でどの様に
演ずるかの考えとその運動機能をお相手と如何に繋ぎ
音楽として表現するかの練習をしていない事に有ります。
というより多くの練習場においてその個人個人の身体の
特性と使い方を習っていない方が余りにも多いのです。
苦しく長い練習を積んで自分自身で身体の使い方を
知らなければならないと言うのが問題です。
様々なスポーツに於いてその種目を自由に楽しく
演ずる為には自分の身体がどの様に動けばいいかを
最初から習い身に付けていく事が重要です。
その過程でステップやフィガー、その種目に特有の
運動表現を身に付ける事が大切です。
この運動は自分と心と身体のやり取りから生まれ
外見的に見えるものではありません。
音楽に応じた表現をする為に様々なフィガーや
テクニックを利用しているのです。
ペアとして互いの運動機能が心を通して繋ぎ合った時
初めて男女共に心から楽しめる踊りが出来るのです。
お相手が変われば当然この繋いだ気持ちのやり取りも
違って来ます。
同じフィガーやルーティンを踊ってもお相手が変われば
全く違った音楽表現に成る事が当然と言えるのです。
今の時代例え素晴らしい踊りであっても人まねでは
本当に心が満足できません。
誰もが自分が踊る事存在する事の喜びと価値を
見いだせる社交ダンスが踊れる事を願いたいです。