社交ダンスを見ている人達が音楽リズムや表現を
感じる時はその多くがステップが演ずる運動表現を
見る事に因って理解する事から音楽表現は実際に
目に映る動作を基準としている事が多いです。
音楽に運動表現やステップが合っているかどうかは
視覚的に自分が感じる音楽と同調した時正しいと
考えている方が殆どと思われますが、見たように
演じようとすると実際は音楽とは異なった表現や
リズムが感じられない自己満足の踊りに成りがちです。
社交ダンスを習うとステップに音楽リズムが有るように
教えられる事も有って見たように踊れば社交ダンスが
上手に楽しく踊れると思ってしまいます。
自分では習った通り見たように正確に演じているから
正しい踊りを踊っていると思っている方が多いのですが
残念ながら音楽を正しく身体で表現できる踊り手は
非常に限られるのです。
確かにステップを踏んだ瞬間のリズムやメロディーが
その音楽の表現の様に思いがちですがステップを踏む
ずっと以前に上体の運動機能が働かなければ全身が
繫がりのある自然な音楽表現とはならずお相手に対しても
的確なリード&フォローが出来ず互いに自分の踊りの
確認作業のような演じ方に成ってしまいます。
私達人間は二足歩行をしているとはいえ下半身が
勝手に動いていると言うのではなく意思のある上半身の
運動表現が下半身に伝わり反射的に最も適切な移動の
仕方が行われるのです。
ステップを踏む時も直接下半身の筋肉を動かして
行うのではなく上半身の運動に対して繋がりを持って
演じられるのです。
その為下肢でしっかりと音楽リズムを取る時であっても
目的のステップが踏まれる前に上半身の運動が先行し
その結果目的のステップワークや下肢の運動表現が
作られるのです。
上半身の運動と言えば大切なのは左右の肩甲骨の前後
左右上下のショルダーを伴った運動ですがその前に
大切な事はしっかりと音楽を聴き踊る方向を見定め
頭の中で数小節先まで演じているペアとしての
音楽表現の映像化を図る事です。
ステップを踏みながらその都度音楽リズムやお相手と
やり取りをしている様では正しく音楽が表現出来ない
だけでなくお相手と繫がりのあるペアの音楽表現が
出来なくなってしまいます。
音楽が聴こえ始めたら音楽の演奏よりも遥かに先への
イメージが頭の中に広がっていく事が重要です。
初心者の内はステップを一つ一つ確実に踏みながら
習った通りの音楽表現を再現していく事が第一かも
知れませんが少なくともルーティンが演じられる様に
成った時には男女とのやり取りは音楽表現を目指すも
踊る為のハウツーの確認であってはなりません。
社交ダンスが上手に成りたいと日々努力を重ねている
多くの方がその思いとは裏腹に中々思い通りの踊りが
演じられない理由の一つが下半身の運動表現を基準として
ステップやフィガーを演じている事に因ります。
社交ダンスが難しいのでは無く私達が日頃行っている
自然な運動表現で演じているのではなく下半身の運動を
社交ダンスを踊る為の方法としている事が問題です。
しかも上体の運動を止めたりホールドを固めたりして
下半身への運動の繋がりを止めてしまう事で常に
ステップを踏むたびに下半身に意識を集中してしか
踊れなくなっているのです。
普段の生活に於いても下肢を意思をもって動かすときは
高齢に成って一歩一歩足を動かさなければ歩けない場合や
怪我をして脚の自由が利かなくなった時です。
健康でしかもスポーツが得意な方が社交ダンスを習うと
まるで歩き始めた子供の様に不自由と成っているのを
多く見て来ました。
彼らは社交ダンスは難しいと思っているようですが
実は自ら難しく踊っているのです。
社交ダンスは字のごとく誰もが踊れる楽しい踊りです。
初めて踊る方とも楽しめる踊りなのです。
所がフィガーやルーティンを決めてしか踊れなかったり
お相手が変わると全く踊れなくなる方がとても多く
正しく社交ダンスが教えられていなのが残念です。
競技ダンスやデモンストレーションダンスの様に
順番を決め振り付けを決められて踊る場合も有りますが
社交ダンスの多くのフィガーはお相手に応じて様々に
反射的に変化する事が出来る様に作られています。
その為お喋りしながら踊る事も出来るのです。
社交ダンスの踊りが普段の生活に基づいた自然な
音楽表現である事が大切です。
踊るスペースが有ればどこでも誰とでも楽しめるのが
社交ダンスの楽しさで有り醍醐味なのです。
スポーツ的芸術でも有りますが言葉を交わしながらも
楽しめる大衆的な踊りでも有るのです。