心と身体を繋ぐ踊り | 社交ダンスはヒップホップよりやさしい

社交ダンスはヒップホップよりやさしい

学校教育におけるダンスと言えば,ヒップホップが主流となっていますが、社交ダンスは二人で助け合って踊ることにより誰でも覚え易く、技術とマナーが自然と身に付きます。
子供からご年配まで、踊ることにより相互理解が得られる、素晴らしい芸術的スポーツです。

東京と故郷を毎週行き来する生活を始めて半年に成ります。

数年前までは二三か月に一度、昨年父が亡くなってからは

二週間に一度、更に今年は帰省している日々が東京の生活

を上回るように成りました。

多くの日本人が遭遇する肉親の介護、その真っただ中にいる

自分自身を見つめると、如何に自分が無力であるかを知らされ

他人事の様に考えていたかを思い知らされます。

 

日々不自由さを強いられる母の姿は運命の糸に導かれる様に

末期の姿を見せ付けます。

最新医療も私達の介護も対症療法にしか過ぎず、残された時間が

まるで砂時計を見るかの様に少なく成って行きます。

数十年前の映像に残される母の姿と現実は余りにも異質で有り

単に年老いたと言う言葉では言い表せない寂しさが有ります。

 

しかしながら、そんな母や一年前に亡くなった父の姿は

私の未来の姿でもあります。この世に生まれた誰もが辿る

生物としての生きざまと言えます。

何の苦労もなく思えば動いていた手足が鉛のように重く

まるで他人の身体の様に成って行く姿は、当人だけでなく

介護する私達の心を苦しめます。

 

とは言うものの、母や父の思う様にならない自らの身体は

私達共通の問題として捉える事が大切と思われます。

まだ自由に動けると思われている身体も、いずれ同じ運命を

辿るとしても、如何にその苦しみを軽減するかの努力が

求められるのです。

老化して不自由と成ったとは言え、私達と彼らの身体は

共通の運動機能によって成り立っています。

 

オリンピックに出る様なアスリートで有っても、その基本的な

運動機能は同じです。

単に健康志向や筋肉トレーニングとして運動を行うのではなく

その機能がいつまでも維持出来る事が大切です。

素晴らしい音楽表現がどの様に生まれるかの知識を持って

自らが選んだ運動表現をする事が重要です。

社交ダンスを踊る時も、様々な知識を持ち表現すべく強靭な

肉体をトレーニングする事に多くの方は日々励んでいますが、

現実の練習方法を見ると、本人が思っている様な成果が生れず

思いと現実に苦しんでいる方も少なく有りません。

 

一番の問題は、心と身体の繋がりが無く、身体と学んだ多くの

知識との反復練習で終わっている事です。

私達は誰しも自分の心で感じ自らの身体を反射的に動かして

日常生活を送っています。

自分の思いを達成するために多くの知識を身に付けスキルを

学んでいるはずです。

しかし、社交ダンスを踊る多くの方は、自分の頭の中の記憶の

再現に最も力を入れています。

 

過去の印象や知識を何度も反復しても現実の踊りにはなかなか

繁栄されない事を知りましょう。

大切な事は、目の前のお相手や音楽、そして環境の変化に応じ

その知識を生きた物として具体的な音楽表現にする力です。

その為には、身体を鍛え知識を増す以上に自らのセンスを高め

思う様に音楽表現が出来る様、私達誰にでも備わっている

運動機能を学ぶ事です。

 

運動機能を使うと言う事は、身体の各パーツの筋肉を動かす

と言うものでは無く、思った様に動く為の全身を繋ぐ運動機能を

学ぶと言う事です。

多くの知識を持つ事は大切ですが、これらのアイテムは自分が

思った様に演ずる為の道具なのです。

どの様に踊り、どの様なステップやフィガーを選択するかが

思うが儘に出来る事が重要です。

 

特に社交ダンスは男女がコンタクトして踊る事から、互いを繋ぐ

運動機能を理解する事が初級の時から大切です。

様々な部分の運動やテクニックを知っていても、部分動作では

自分とお相手が一体となって演ずる事は出来ません。

もちろん社交ダンスに限らずあらゆるスポーツに当てはまり

本当にスポーツや社交ダンスを楽しめる方法と言えます。

年老いた母も、この機能が殆ど使えず、身体が思う様に動かず

苦しんでいます。

高齢者のみならずあらゆる世代が思い通り身体を動かすには

如何に自らの身体が周囲の人や環境に対して反射的に動き

意思表示が出来るかと言う事を知る事が一番大切なのです。