社交ダンスを踊る為には、まず第一に、踊る為のアイテムを
しっかりと覚えて、ステップや運動表現が正確に出来る事です。
この事は、あらゆる習い事に共通する事なのですが、完璧に
覚えた通り踊ったのに、実際は様々な所でトラブルを生じ
思い通りの表現が出来なかったと言う経験は誰にでも
あると言えます。
また、逆に、何も考えずに踊った時に、思いがけない程
楽しく自由に踊れて驚いてしまう事も有ります。
私がアマチュアで競技をしていた時、習った通り完璧に踊り
胸を張ってその結果を待っていると、知り合いの審査員が
近寄って来て、今日の踊り方の酷さはどうしてしまったのか
と尋ねられた事が有ります。審査結果はさんざんであり、
パートナーからも踊り難さのクレームが有りました。
いつになく上手く踊れたと思っていたのに、その結果は
全くの裏腹と成り、意気消沈して帰ったのが思い出されます。
また、タイトルを狙う大切な試合の前に高熱を出し、
殆ど眠る事も出来ず、当日も試合前の練習が全くできず
歩く事もままならない状態で試合に臨んだ時、何と
それまでで一番良い結果を得る事が出来ました。
どの様に踊ったか全く覚えていないのですが、
朦朧とした頭で、トロフィーを掲げていたのが微かに
思い浮かびます。
一生懸命練習して、自分では完璧と思える踊りに
仕上げた時、周囲の評価は最悪で、パートナーに助けられ
辛うじて踊った時が最高の踊りと評価されると、一体
どの様に社交ダンスを学んだらいいのか、本当に心から
悩んだものでした。
しかしながら、今思えば、その頃の踊り方は、社交ダンスの
正しい踊り方ではなく、単なる記憶の再現であり自己満足の
極まりであったと言えるのです。
つまり、目の前のお相手も音楽も周囲の環境も、まったく
頭に入って来なくて、ただ自分の考える理想的な音楽表現を
力任せに行っていたに過ぎないのです。
一番の問題は、テキスト通り、習った通り完璧に踊れば
楽しく正確な社交ダンスが踊れて、目の前のお相手も
見ている人達も喜んでくれると、とんでもない誤解をして
演じていた事です。
一人で演ずれば、まるでテキストのお手本の様な足さばき
ボディ表現であり、何処から見ても、これぞ社交ダンスと
言える踊りで有ったと思いますが、社交ダンスが、男女二人で
創り上げる踊りだと言う事を忘れていたのです。
しかも、最も大切な音楽に対するセンスを全く上達させないで
常に自分のステップと身体とやり取りをしていたのです。
しかしながら、当時の踊りは、世界チャンピオンをトップに
世界中の踊り手が順次真似をしていくようなもので、
外見的にコピーするのが当たり前でも有ったのです。
しかしながら、その様な踊りは、たとえ外見的に美しくとも
二人にとっては顔で笑って心で泣いている様な踊りであり
本当に心から楽しめる社交ダンスでは無かったのです。
プロになってようやく欧米との違いに愕然とし、如何に
日本人が特殊な踊り方をしているかを痛感しました。
しかしながら、その違いを男女二人の関わり合い方から
しっかりと理解するにはそれから多くの時間が要しました。
何故、欧米人の踊りと日本人踊りが違うのかは、
決して難しい事では無く、誰にでも備わっている機能を知り
お互いに理解し合って踊る様に成る頃には現役生活も
終わりを告げる頃でした。
社交ダンスが本当に優しく誰にでも踊れる様にできている
という正しい理解が出来ると、どんなステップも運動表現も
極めて自然に演ずる事が出来、社交ダンスの素晴らしさと
と言うより、人間の身体が如何に上手く出来ているか、
どんなスポーツも踊りも思うが儘に出来る様に成っているのを
知る事と成りました。
すると、それまで習って来た社交ダンスのハウツーが
如何に無駄であり、自分の身体を動かない様にしてしまうか
更には、どんなに易しいステップでも思い通り踊れなく
してしまうかが解りました。
あらゆる日常の所作に対応できる私達の身体が、如何に
動いているか、そして人や物とどの様に関わっているかを知ると
トレーニングも音楽表現も、はたまた健康の為に行う様々な
スポーツも全て同じ自分の身体の機能を使えば良い事が
解って来るのです。
正確なステップや運動表現は、どの様に身体を使うと
その時求める一番正確で美しい表現に成るかが解らないと
常に自分本位のトラブルを生みやすい踊りと成るのです。
若い方も高齢の方も、人間の身体は基本的に同じ機能で
出来ているのです。
ただ、無意識にしていても、それを意識して使う事が出来ず
外見的な印象や他の知識をあてがい、特殊な運動表現を
創り上げているのが現状と言えるのです。
初心者や高齢者の方が、見るからにぎこちない踊りをしたり
中々ステップを覚えられないのは、彼らに社交ダンスを
踊る為の能力が無いのではないのです。
個人差は有れ、各自の生まれてこれまで培われて来た共通の
運動機能とその使い方を習っていないだけの事です。
更に言えば、例え高齢と成っても、この機能を維持し使えば
若者と何だ変わらない運動表現が出来るのです。
社交ダンスは、どの世代であっても其々の身体に合わせた
素晴らしい音楽表現を生み出す事が出来るのです。
知らなければ、自己満足の、周囲からは受け入れられない踊りを
これから先も続ける事と成るのです。