私達日本人の踊りは、昔から硬く固定されて
自由が無いと言われます。
今でこそ、伸び伸びとした踊りが多くなりましたが、
それとて、一部のエキスパートやプロに見られる、
かなりのトレーニングを積んだペアに感じられる
にすぎず、一般的には、相変わらず、十字架を
背負ったような踊りが多く見られます。
この事は、一つは、私達日本人が非常にまじめで
言われた事をきちんと守る実直な民族だからこそ
起こる現象であり、決して、日本人の踊る踊りが
技術的に劣っているのでは有りません。
私達日本人は、見えた物聞こえた物に非常に敏感で
その為、何かを学習したり真似たりする能力は
世界でもかなり長けた民族とも言えます。
その為、社交ダンスに於いても、習った通りコピーし
同じ様な踊りになる事を良しと考えがちです。
特に、ホールドに関しては、見たり習ったりした
踊り手のホールドと同じようにしようと、出来る限り
大きく見せる様努力します。
確かに、大きなホールドは魅力的ですが、誰もが
自分の身体を変える事は出来ません。
不自然であったり、異様に硬い上半身のペアに
共通のホールドは、腕や肩周辺を、目いっぱい上げ
両腕を伸びきる程広げています。
元々手足の長い欧米人のホールドは、日本人に比べ
一回り大きく感じる程ですが、彼らは、けっして
両腕を高く持ち上げたり、緊張するまで左右に
引っ張ったりはせず、むしろ、非常に柔らかく
身体と共に前後左右、あらゆる方向に動かして
魅力的な踊りをしています。
特に問題は、身長差のある男女に於いて、
大柄な男子のホールドに、小柄な女子が両腕を
一杯持ち上げて、更には、左右に腕が抜けんばかりに
引っ張っているのが見られます。
リーダーの長くて広いホールドに合わせようとして
頑張っているのでしょうが、その姿は、美しさと言うより
悲壮感が感じられます。
問題は、その姿ではなく、パートナーの両腕の重さが
自分のボディから外れてしまうと、身体は変形し
一曲中鉄パイプの様に固めていなければならない
二人の踊りとしては最悪の運動となる事です。
中には、男女共、ホールドを固定する器具を付けたり
小柄な女子が、男子のホールドの高さに合わせる様に
一生懸命ホールドを上げる拷問の様なトレーニングを
いまだに行っているペアが有るのに驚かされます。
半世紀ほど前は、外見から学んだ事が多かったため
その様な間違った運動をしていた事も有りましたが、
いまだに行っているとしたら、それは、パワハラであり
拷問に過ぎません。
社交ダンスは、衣装を着て美しく舞う女子が不自由では
どんなに練習をしても上達は難しく、例え外見的に
美しく見えても、中身は悲しみを抱えた可哀想な
踊と成ってしまいます。
男女共、上半身を固める時代は、遠い過去の産物です。
他のスポーツと同じく、上体は非常に柔軟であり、
両腕は、ボディにしっかりと体重の一部として乗っていて
ボディの延長上に下半身の動きや力を伝えます。
社交ダンスのホールドは、10組居れば10通りの
組み方と形が有ります。
もちろん、相手が変わればすぐに変化するのが普通です。
二人のホールドが、音楽を通じて、どの様にお互いに
関わって作られているのかを知っていないと、どんな
素晴らしい表現もステップワークも、台無しになります。
社交ダンスのホールドは、大きな円を作っているのでなく
運動で生まれるものであり、一曲中固める踊りは、
初心者の内だけだと言う事を知って下さい。