料理の世界では、素材によって様々な調理方が有り
素晴らしい料理人は、与えられた材料の状態に応じ
その時一番良い調理法を反射的に創造できます。
同じ素材でも、季節によって、品物によって異なり、
その都度、よく見て、触れて、味わってみないと
一番美味しい料理を生み出す事は出来ません。
見た目同じ素材であっても、季節により、採れた場所
育て方によって全く違っていて、その違いを、いかに
美味しい料理として生かしていけるかが、料理人の
腕の見せ所と言えます。
つまり、食べ物は、生物であり、同じ種類であっても
一つ一つその性質や資質が異なっているのです。
所で、私達人間は、地球上の生物の中でも一番
頭脳が発達し、あらゆるメンタル運動が、秀でて
進歩しています。
その為、様々な文化を生み、高度な社会生活を
営む事が出来ているのです。
しかしながら、なんでも解っている様で、
一番身近な人間同士が解っていないのです。
中でも、私達が日頃練習する社交ダンスに於いて
眼の前の相手の事が、殆ど理解できていない方が
とても多いのです。
御互いに、自分の技術、表現、感覚は気になっても
相手の事が全く解っていない場合が多いのです。
社交ダンスは、常にコンタクトする事に因り、
パートナーからの情報が送られて来ます。
つまり、この情報をしっかりと得る事に因り、
自分が時間を掛け学んで来た沢山の知識が
役に立つのです。
多くの方が、先生やコーチャーに言われた通り
または、自分がメディアを通じて覚えた通りに
間違わないで踊れば上手く行くと信じています。
しかし、この事が何時まで経っても進歩しない
苦しみの踊りを生んでいるのです。
いくら素晴らしい知識や経験があっても、
眼の前から伝わるパートナーの情報や
流れる音楽、周囲の環境に対する感覚が無いと
何をしても、相手にとっては不快と成り、
自分にとっては、出口のない迷路に入る様な
苦しい踊りと成ってしまいます。
例え目の前のパートナーと10年踊っていようと
人間は毎日変わっているのです。
料理人の使う素材より遥かに変化に富んでいます。
10年間、自分の技術を磨くだけで、パートナーの
日々の状態を感じる力を育てていないと、自分が
気持ちよく踊る事だけでなく、パートナーから
心からの笑みが得られません。
料理人が、素材を生かして美味しい料理を作る様に、
私達踊り手は、目の前のパートナーが、心の底から
音楽を楽しみ、二人で踊る事の喜びを感じられる様
見て、触れて、やり取りをして、相手の気持ちを
感じなければなりません。
この時、初めて、しっかりとした技術やトレーニングが
生きてくるのです。
身体の使い方、歩幅、やり取りの強弱、音楽的な
繋がり、ステップの使い方等、これらすべてが
反射的に決まるのです。
苦しい練習やトレーニング、数々のダンスの知識は
相手の事や音楽を感じる事に因って、一番良い
使い方として表現されるのです。
沢山の知識が有り、美しいスタイルをした方が、
以外と、踊り難かったり、ギクシャクした不自然な
感じに思える事が有ります。
私達は、知識や身体、運動表現を見せつける為に
社交ダンスをしているのでは有りません。
素晴らしい音楽の中で、目の前のパートナーと
最高の時を感じ合いたいがために踊っているのです。