社交ダンスの未来を憂う | 社交ダンスはヒップホップよりやさしい

社交ダンスはヒップホップよりやさしい

学校教育におけるダンスと言えば,ヒップホップが主流となっていますが、社交ダンスは二人で助け合って踊ることにより誰でも覚え易く、技術とマナーが自然と身に付きます。
子供からご年配まで、踊ることにより相互理解が得られる、素晴らしい芸術的スポーツです。

日本人が持つ趣味の中で、社交ダンスは、さほど大きな
ウェイトを占めていません。
かつて、高度成長期やバブルの頃は、多くの社会人の
大人の社交場として、ホールや教室はに賑わいました。

しかしながら、今では、殆どが中高年と言うより高齢者の
かつて、若い頃社交ダンスに親しんだ方々が、趣味と言うより
健康のためにに勤しんでいるのが現状です。

もちろん、中には、子供達も参加している所もありますが、
他の習い事やスポーツと比べれば、特殊とも言えるものです。
何故、あんなにも盛んだった社交ダンスが、これ程にも、
世の中の隅に追いやられてしまったのか、この事は、単に
様の中の経済状態が滞った理由ばかりでは有りません。

一番の問題は、社交ダンスが、本来のダンスの目的から離れ
単なるショウビジネス化し、一部の愛好家に留まっていると言う、
大衆性を失ったことにあります。

外見的な美しさと、申し合わせの作り事の楽しさに、若い人は
反応しなくなったのです。
沢山の技術が生まれ、情報が氾濫する事で、あらゆる表現や
テクニックを知ることが出来、本来の、男と女のコミュニケーションが
単なる見てくれのものに変わってしまったからです。

多くのペアが、目の前の人に対する心のやり取りを失い
自分の持つテクニックや表現に没頭し、自分が踊れることが
ダンスの楽しさと勘違いしています。

その為、特定の人と、順番を決め、申し合わせの笑顔で踊れば
楽しいのですが、一度人が変われば、その能力は、途端に
初心者の踊りとなってしまいます。

たった一小節のフィガーであっても、二人の思いは、音楽を通じ
豊かなその時に生まれた新鮮な表現となるのです。
しかし、多くの方の踊りは、自分の記憶に忠実に従う事であり、
二人が創りだす、その時に感じた踊りでは有りません。

なまじ、社交ダンスを経験している人たちは、外見的な判断や
自分の感覚で見る事により、美しく楽しく思うのでしょうが、
特に、社交ダンスを見た事の無い若者や一般の方々は
非常に特異な踊りと映ります。

特に若者は非常に敏感です。
心にもない笑顔、取ってつけた様な表現は、非常に違和感を感じ
言うならば、キモイ、と感じるのです。
しかし、本当に二人の心が生んでいる素晴らしい踊りを観れば
決してそのようなことは無く、そんな踊りが日本に少ないのが
一番の問題です。

難しいステップ、ルーティン、表現が出来る人が上級の人だと
今だ思っている方々が多いのが問題です。
つまり、外目しか感じられない踊り手が多いという事です。

社交ダンスは、ダンスの技術を通して、御互いに相手を思いやり
助けながら、流れる音楽を二人で表現していくものです。
テクニックやステップは、その為の道具であり、踊りを観た時
2人の関係、人間性をいかに感じられるかが重要です。

魅力と言うのは、個性でもあります。
キャリアの有る人、ない人、若い人、高齢の方々、その誰もが
ペアで踊った時、それぞれの魅力が生まれる事が大切です。

踊る姿を見た時、2人の人間的魅力が感じられる様に
日頃から、様々なステップやテクニックを使って練習するのです。
その目的の違いが、魅力を生まないダンスを生み、多くの人の
心を遠ざけて行くのです。

多くのキャリアの有る方々が思っている社交ダンスの魅力は
社交ダンスを知らない人が感じたいものと違っている事を
知らない限り、社交ダンスがポピュラーな習い事には
ならないのです。