人は、何の為に生きるかにより、人生が変わります。
そして、喜びは、動物の様に、自分の欲求を満たす事で
成し得るものから、自分以外のものへの喜びを感じる事で
豊かな満足へと成長して行きます。
普段の生活に於いても、私達は、多くの人々と関わりあい
御互いに助け合って生きています。
生かし生かされるのが人間の生き方でもあるのです。
そんな人間の心の様を音楽で表現したのが社交ダンスです。
他のダンスと異なり、一人で踊る事は出来ません。
二人でデュエットをする様に、常に相手の事を感じ、自分の
思いを伝える事で、沢山の喜びを得られるのです。
これは、恋人同士や夫婦の関係とよく似ていて、独りよがりは
二人の溝を深める事は有っても、二人が創りだす魅力は育たず、
人としての美しい関係を表現する事が出来なくなってしまうのです。
しかしながら、沢山の技術や表現は知っていても、相手との
関わり合いや、気持ちのやり取りに疎いペアが何と多い事でしょう。
外見が派手で、ドラマティックなため、その成り振りに惑わされ
思わず感動してしまいがちですが、心で感じると、全く魅力に欠け
その上辺のわざとらしさが増々見苦しさすら感じさせるものです。
でも、これは、ペアの踊りをうんぬん言っているのではなく、
そんなにもダンスを愛し、頑張っているのに、その目的を知らず
外見のみに心を囚われているのに、残念と言うより、寂しさを
感じるのです。
どんなスポーツも芸術も、それを行なう人々の心が感じられないと
見る人の心は感動しないのです。
派手なステップで最初はごまかせても、次第にメッキが剥がれて
かえって安っぽい踊りとなってしまいます。
ダンスを踊らなければ、立派な紳士淑女が、着慣れない洋服と
無理矢理覚えた足型を苦労して動かし、心にもない笑みを浮かべ
それを評価の対象として考えてるのは、非常に残念です。
特に、中高年ともなると、様々な経験を経て、自分が今行う事が
いかに自分の心とは違う、異種のものであるかが
解っているはずです。
社交ダンスは、異性とコンタクトをし、より二人の関係を大人の
人間的に豊かな表現として見せるものです。
作られた足型と順番と鎧のように固められた上半身に、
そんな豊かな人間性を求める事は不可能です。
社交ダンスは、コンタクトを取ったとたん、二人の人間性の
尺度となって、より心を理解する道具となるのです。
道具を磨く事も大切ですが、それに心が伴わないと、中身が一層
貧弱に感じられるものです。
より素晴らしいステップや表現をする為には、それに勝る日頃からの
人間として豊かな人間性と社会性を身に付けなければならないのです。