哲学的な考え方とは(その2) | so what(だから何なんだ)

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そんなお年頃。
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・・・・・・・っということで、哲学的な考え方を身につけさせるには、どうすればいいのでしょう。

 

フランスを見てみましょう、お手本になるかどうか。

 

フランスにはバカロレア(高卒で大学受験の能力があるかの判定)という試験があります。

 

その中で「哲学」は必須です。

 

アメリカやイギリスでは哲学は大学の科目で、フランスのように高校の主力科目ではありません。(スペイン、イタリア、ブラジルなどラテン系では重視されるのが面白いですね。)

 

提示される問題は3問で、その中から1問選び小論文形式で答えます。

 

文系、理科系、職業系に関わらず必須科目です。

 

「答えのない質問」をいかに理論的に料理するか、その能力が試されます。

 

時間は4時間だそうです。

 

目指すところは、「自分の頭で考えろ」であって、暗記力を問うのではありません。

 

まさしくぼくの言う「哲学的思考」ですね。

 

どんな問題が出されるかというと:

 

「他人が幸せでないとき、自分は幸せになれるか?」

「議論することは、暴力の行使を諦めることか?」

「国家がない方が、私たちはより自由になれるか?」

「私たちは自分の言葉をコントロールできているか?」

・・・

 

なかなかいい問題ですね。

 

どこまで持論を展開できるか、知識の広さと深さ、プラス表現力が求められています。

 

大人にとっても、手強い問題ですね。

 

まず心配になってしまうのが、どうやって「採点」するかです。

 

試験管の能力によって採点が違ってきそうですね。

 

まあ、そこは注目すべきポイントを徹底的に打ち合わせておくのでしょうね。

 

まるで、フィギュアスケートの採点のように。^m^

 

・・・・・・・

 

採点の難しさもさることながら、どうやって教育するのでしょう?

 

ぼくが注目するのはこちらです。

 

教育で扱う概念は主に自由、幸福、真理、正義と権利、国家、道徳、意識、無意識、技術、芸術、時間、言語 などだそうです。

 

いかにも哲学が好むテーマばかりですね。

 

生徒たちは各自の考えを持つでしょうが、問題はそれをどうやって論文に仕立てるかです。

 

これはテクニックの問題ですね。

 

問題提起(Problématique)→

正論(テーゼ)→

反論(アンチテーゼ)→

止揚/総合(ジンテーゼ)対立を乗り越え、より高い視点から自分の結論を導き出す。

 

という流れになります。

 

やっぱこの分野ではフランスは進んでいますね。

 

ぼくがもし高校生に戻れるなら、こんな授業を受けてみたい。(^^ゞ

 

彼らはフランス革命の精神に絶対的価値を置いているのでしょうね。

 

「自分の頭で考えろ」・・・これこそ今の時代(情報過多の時代)に必要とされる能力でしょう。

 

特に日本においては全く足りていない。

 

どちらかというと、日本の教育は「従順で優秀なサラリーマン」を大量生産するのが目的のように見えます。

 

採点者の能力が求められていると同じく、教師の資質が大きな意味を持ちますね。

 

フランスの哲学の授業が実際にどう行われているのか見てみたい。

 

・・・・・・・

 

ここからが本題になります。

 

フランスは哲学の重要性に気づき、早い段階からこのような教育システムを構築しました。

 

じゃあ、日本での教育はどうすればいいでしょう。

 

まず教師から育てなきゃならない。

 

ただでさえ日本の教師は「雑用」にがんじがらめになっていて、哲学を学ぶ暇なんかねぇ〜ぞ!・・・という現場からの声が聞こえてきそうです。

 

しかも、日本教育が大好きな×式の手っ取り早い採点なんかできませんからね。

 

そうなんです、哲学的思考力を身につけさせる教育って、手間がかかるのです。

 

次にぼくの案を書いてオシマイとします。