・・・・・・・っということで、昨日は終戦記念日でしたので、B29戦略爆撃機についての蘊蓄を少々。
終戦時点で、父親は18歳、母親は16歳でした。
戦時中の話はあまり話したがりませんでしたが、終戦になって何しろホッとしたと言っていました。
両親より祖母の話が強い記憶となりました。
愛媛県の波止浜の丘から今治の軍事工場への爆撃を見たそうです。
B29の編隊が投下した焼夷弾で街全体が火災に包まれ、その反射でジュラルミンの機体が夜空に浮かび上がりました。
祖母はそれを見て「綺麗だった」と言っていたのが印象に残っています。
B29は日本人にとって憎っくき敵機です。
大抵の日本人には、とてもじゃないけど歯が立たない爆撃機と刷り込まれていますよね。
それもそのはず、B29は高度10,000m付近を時速600km以上で飛ぶ怪物機で、当時の日本の主力戦闘機だとその高度では追いつくことさえ不可能だったのです。
じゃあ、そのほとんどを撃墜できなかったと思いますよね。
B29は終戦間近にアメリカの威信をかけて開発された最新爆撃機です。
製造総数は3,970機で、そのうち約1,000機強が対日戦争に投入されました。
そのうちの全損失が414〜485機(作戦行動中の墜落・不時着、機械故障、事故を含む)だそうです。
えっ!?😮ですよね。
半数近くが失われた計算になります。
一方的に日本がやられていたとの認識とはかけ離れていますよね。
しかし、損失の中身を見てみると・・・
戦闘による損失は約147機で、そのうち戦闘機による撃墜が約80機、対空砲による撃墜が約70機なんだそうです。
(大本営発表では500機撃墜ですが、アメリカ軍のデータは客観的なものです。)
1/3が撃墜され、残りの2/3がほぼ機体の不具合による墜落あるいは不時着なんです。
・・・ということは、そもそもB29は欠陥機であったことがわかります。
ヨーロッパ戦線ではB17爆撃機が使用されました。
最近はその損失が凄まじい数だったことが知られるようになりましたね。
1回の出撃で10%が帰還できなかったケースもありました。
それに比べ、対日戦では1%程度で済んでいます。
だから、アメリカは高高度から大量の爆弾を投下できる新型機の開発に迫られていたのです。
総予算は当時の額で30億ドル。
現代の価値に換算すると日本円で約7.5〜9兆円相当の規模です
これは原爆開発費の約19億〜20億ドルを上回り、どれほど本腰を入れたプログラムであったかがわかりますね。
現代の価値では1機あたり約15〜18億円です。(B17の約3倍)
ところがあまりにも開発を急いだため多くの設計ミスを残したまま実戦に投入されました。
いちばんの欠陥はエンジンでした。
出力2,200馬力を誇る怪物エンジンでしたが、冷却がうまくいかず加熱による火災が頻発しました。
エンジンに負荷がかかる原因は、高高度における運用、搭載重量の大きさ、ジェット気流の影響についての知識不足、何にも増して長距離飛行(片道約2,500km・往復12〜15時間に及ぶ超長距離飛行)でした。
パイロットの間では、「走る火災現場」と呼ばれていたそうです。
損耗率1%だと、パイロットは鼻歌混じりに出撃していたと思われるかもしれませんが、彼らのノルマは出撃30回です。
30回出撃した時の生還率は何と約54%だそうです。
彼らも必死だったのです。
ところが、1945年3月に米軍が硫黄島を占領したことで短い航続距離の戦闘機の護衛が付くようになってから、それこそ鼻歌混じりの出撃になりました。
P51ムスタングはレシプロ機の傑作機で、日本の戦闘機は性能の上で全く太刀打ちできませんでした。(トム・クルーズの愛機として知られていますね。)
日本軍は戦闘機を温存して、その後は神風特攻に使ったくらいです。
すると、高高度で飛ぶ必要もなくなり、低空で焼夷弾をばら撒く作戦に切り替えました。
・・・・・・・
日本人にとって、B29は無敵の空飛ぶ要塞として刷り込まれていますが、とんだ欠陥機だったわけです。
その後、不具合は改善され朝鮮戦争にも投入されました。
ところが新しく登場してきたジェット戦闘機(ミグ15)のいい餌食になってしまいました。
その後はB52などのジェット爆撃機に座を譲りました。
ですからアメリカにとってB29は良い印象を残さないまま、引退していった不運な爆撃機だったのです。


