・・・・・・・っということで、昨日の『NHKスペシャル「私の往生際 養老孟司が見つめた“生と死”」』には期待していました。
なぜなら、ぼくは彼の影響がすごく強いからです。
ちなみに、「孟司」はぼくの父親と同じ名前です。
いつも説明する時、孟子の「もう」と、司会の「し」と説明するのでしたが、そもそも孟子という漢字を知らない。
そこで、「子の下に皿」と説明するのでしたが、それでも伝えきれない。
だから養老先生には親近感があったのでしょう。
・・・・・・・
彼については過去に何度も書きましたので省略します。
88歳になった彼が今どんな境地に達しているのか?・・・これが養老ファン(?)の興味のポイントでしょう。
ところが、昨日の番組ははっきり言ってつまらなかった。
何だよ!彼の思想が成熟の域に昇華されているどころか、「退化」していたのです。
小細胞肺癌を患っていて、余命いくばくもないというのは辛いと思います。
でも、それって自業自得じゃん。
あれほどのヘビースモーカーだったんだから、覚悟の上だろう?
彼は死についてかなり発言してきました。
だったら、自分が迎える死について、これまでの持論と比べて何が違うか?「検証」する姿を期待していたのです。
ところが、そこにあるのは死に怯える(そう見えた)88歳の老人そのものだったのです。
何だよ!人との繋がりの大切さに気付かされた・・・なんて。(ーー゛)
彼は小さい時から変人だったのです。
ぼくが変人だからそれがわかるのです。
若い頃、周囲と合わせられなくて、「虫」に没頭した。
今でも虫の採集に情熱を示します。
それは、彼が孤独だったからです。
彼が解剖学を職業にしたのはスジが通っているのです。
なぜなら、両方とも対象が「死んでいる」からです。
彼の理屈は「話しても分かってもらえない」でしょう?
死んだものが相手なら、分かってもらおうなんて苦労はない。
もう一度、何だよ!人との繋がりの大切さに気付かされたなんて。
とっくに亡くなった飼い猫(マルは人気でした)のぬいぐるみを抱くなんて。
ぼくの父親は90歳まであと6日前でなくなりました。
二人の孟司は、奇しくもほぼ同じ年齢で人生を閉じることになりそうです。
尖ったオヤジも最後は丸くなって消えていくのかなぁ〜。

