・・・・・・・っということで、比較的若いとき、養老孟司の「唯脳論」を読んだけど、何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。
しばらくして彼の「バカの壁」が大ヒットしました。
しかし、彼がバカの壁で言いたかったことを理解している人はどのくらいいるのだろうか?・・・と思います。
バカの壁のヒットで、定年後の彼の人生は一変しました。
ナンだ、解剖やっているより本を書いているほうが儲かるじゃん・・・と彼は驚いていることでしょう。
・・・・・・・・・
彼の講演会に出たことがあります。
手が届く近さの最前列で、彼の唾液をいっぱい浴びました。(^^ゞ
言っている内容は本と同じ、参加してまで聞く意味はありませんでした。
彼の本を何冊も読みましたが、同じ主張を言葉を変えて言っているだけです。
いい商売ですな。
・・・・・・・・・
そんな中、いつも納得させられる主張は、「世の中に同じものはひとつもない」です。
犬や猫などの動物にとって、同じものは何一つなく全部が違うです。
ところが人間だけは、同じものとして認識しようとするのです。
大人と子供、日本人と外国人、白人と有色人、敵と味方、そして男と女。
人間は何でもグループ化して認識しようとします。
どういう方法でか?
言葉を使って名前を付けるのです。
犬なら犬、アジア人ならアジア人。
その結果何が起きるか?「均一化」です。
グループに入るものは皆同じ。
ホントーはそれぞれ別なのに。
それぞれ個性が違うのに。
皆同じと認識しようとします。
・・・・・・・・・
このあいだ話題にした「女性差別」にもこれが言えます。
女性はそれぞれ「女」という言葉で括って、日本では差別されているとか、案外居心地の良い社会じゃないかとか、賛成反対の立場で持論をぶつけ合います。
実はこの議論は、「男女」という言葉でグループ分けすることによって生じることに気付くのです。
差別されている男性だって、大活躍している女性だっているのです。
すると、女性差別は男女の共通の問題であって、男女の枠を取り払って一緒に考える問題と気付くのです。
それは、人種差別、性差別、地域差別、職業差別、家柄差別、学歴差別、障害差別、文化差別、そして逆差別・・・。
あらゆる差別の根元は、「言葉による分類」から生じています。
ホントーは違ってアタリマエなのに。
じゃあ、差別ってナンなのよ?・・・となるのです。
・・・・・・・・・
養老孟司はここまで親切に説明してくれません。
犬や猫にとっては全部違うのに、人間は同じと認識する。
それは、言葉のせいだとしか言ってくれません。
そこから先は各自で考えろ。
考えても理解の差が生まれるのは、各自のバカの壁に違いがあるからだ・・・と。(^ω^)