・・・・・・・っということで、私は日本の総理大臣の菅で御座います。
この度、2020年東京オリンピックの開催を私の責任において確約いたします。
このコロナのパンデミック下、オリンピックを開催する意義は何か?・・・という疑問があるのは十分承知した上での決定でございます。
開催を強行する理由は、けっして金銭的理由ではありません。
更に付け加えるなら、これまで参加を夢見て、努力を重ねてきた選手の皆さんが気の毒だという理由でもありません。
オリンピックとは何なのかということ・・・
その原点にかえって、皆さんに考えて欲しいのであります。
ご承知のように、オリンピックはギリシャが発祥の地です。
敵味方分かれて戦いを続ける中、殺し合うとは別の決着方法があるのではないか?
そう、スポーツという競技で勝敗を決めることと殺し合うこと、その結果において如何なる違いがあるのかと発想した人がいたのです。
そして、その突拍子もない提案に対して、オウっ!やってみようじゃないかと考えた人が多数いたのです。
そればかりか、実際にやったのです。
紀元前にそういうことが起きたのは、奇跡的と言って良いでしょう。
何故なら、21世紀の現代でも、戦争を中断して敵味方がスポーツに興じるなど、実現不可能だということは、皆さんが知っていることじゃないですか。
そういう意味において、古代ギリシャ人の偉大さを再確認するのであります。
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さて、我々人類はコロナと命がけの戦いを続けている最中です。
戦う相手はコロナウィルスですから、停戦など聞く耳を持たないでしょう。
ましてや相手のペースで進んでいる戦いですので、停戦に応じるはずがありません。
こんな状況下でオリンピック開催など論外で、リスクを踏まずに、ワクチンの効果をひたすら待つべきでしょう。
そう、それが正論でしょう。
しかし、考えてみてください。
最終的にコロナを克服できたとして、人類はただただ耐えただけだったという歴史しか残さないのです。
世の中には、命のリスクがあろうとも、それを実行するだけの価値が存在するのだと考えるのが、我々人類の価値観なのだと胸を張って言えるのがオリンピックなのだと私は信じます。
当然、安全を確保するため最大限の対応策は取ります。
この環境の中で開催することによって生じるいかなる結果について、全ての責任は私にあります。
皆さん!コロナとの戦いは頭に置きながらも、アスリートたちのパフォーマンスを思いっきり楽しもうではありませんか。
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以上が、ぼくの考えた演説の台本です。
(^^ )