大谷くんと英語(その2) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・サラリーマンのとき、ぼくは英語が堪能だと誤解されていました。

 

会社における経歴を知れば、そう誤解されるのも仕方ないのですが。

 

入社した時の部署が「海外事業部」。

 

その名の通り、海外を相手に会社の製品を売る部署です。

 

当然英語ができて当然の部署でした。

 

入社するなり、ぼくの英語力がお粗末なことがすぐにバレてしまいました。

 

バレるも何も、ぼくは自分が英語ができるなんて一言も言いませんでしたので、勝手に誤解するほうが悪いんじゃないかと思うんですが。

 

入社1ヶ月で工場に駐在中のアメリカ人のインスペクター(検査官)のお付きを命じられました。

 

通訳というのがその任務で、もちろん英語の上達が目的でした。

 

ところが、工場側は手が足りないところにちょうど新入社員が来たとばかりに、図面から材料を拾い出す仕事を押し付けられました。

 

連日の残業で深夜まで働かされました。

 

英語なんか上手くなるはずがありません。

 

しばらくして、部署からイラクの建設プロジェクトを受注したので、作業員と一緒に通訳で同行する気はないか?と電話がかかってきました。

 

イラクって??と聞いたら、バグダッドが首都の国だよと言われました。

 

えっ!バグダッド?ぼくの頭の中はアラビアンナイトのイメージが広がり、二つ返事で「はい行きます!」と答えてしまいました。

 

入社後4ヶ月目にはイラクの砂漠の真ん中に立っていました。

 

そこから2年間、一度も帰国しませんでした。

 

イラクはイギリスの植民地だっただけあって、役人など地位のある人は皆英語が喋れます。

 

2年も居たから当然英語が上達しただろうと思われるでしょう?

 

ところがそれが誤解なのです。

 

通訳の仕事なんてそんなにありません。

 

ヒマだから工事を手伝い始め、そのうち作業員の一人として組み込まれてしまいました。

 

ぼくはそっちの方の才能があるのです。

 

その結果、英語よりアラビア語が上手くなってしまいました。

 

帰国後も工事部門はぼくを手放さず、現場の手伝いをさせられました。

 

その時ぼくが担当して架けた橋はまだあるんですよ。^m^

 

1年後にようやく部署に呼び戻され、海外の仕事につきました。

 

相変わらず英語がダメでしたが、英文の入札書類やスペックは否応なしに読まざるを得ず、海外出張もこなすようになりました。

 

じゃあ、ぼく以外の社員は皆英語が堪能だったかというと、そうじゃなかったところがその会社の面白いところでした。

 

そうこうするうちに円高となり、海外事業部の売り上げは激減し、ついには事業部そのものがお取り潰しになりました。

 

ぼくの最後の仕事はスリランカの円借款工事で、最初の営業から受注、

(有能な若手を付けてもらうことが条件で)現場の工事代理人までぼくが担当しました。


スリランカの時は、不思議なことにスリランカの言葉(シンハリ語)は一言も覚えませんでした。

 

第2期工事も受注し、1年後には後任に現場を引き継ぎ帰国しました。

 

円借款工事でしたので、またもや英語を使う機会はありませんでした。(;^_^A

 

帰国後のある日、社長から電話がかかってきました。

 

「君、アメリカでパイロットのライセンスをとってこないかね?」でした。

 

もちろん、ぼくは英語が堪能だとの誤解に基づく任命でした。

 

・・・つづく。