・・・・・・・っということで、あの沖縄の辺野古で起きた、高校生のボート転覆事故の件のニュースにはモヤモヤさせられます。
そのモヤモヤの正体を考えてみました。
この問題は分けて考えたほうがいい。
分けた後で一緒に考えるプロセスを踏んだほうが適切じゃないかな。
若い命が失われたのは本当に痛ましい。
1)波浪注意報のなか、無登録の船に乗せた。安全管理に対する意識がゼロだと言わざるを得ません。
2)偏った政治運動の現場に、全員を強制参加させた。
1)に関しては最近バス事故で生徒が亡くなったばかりでしょう。
学校側の責任は強く糾弾されるべきなのは当然。
2)に関しては、教育現場はいまだにそんな有様かという驚きです。
ぼくらの世代、教師たちは子供相手にガチガチの共産主義を平気で吹き込んでいました。(日教組の犯した罪は深い。)
口を開けばソ連礼賛。
ぼくのような生徒は、またやってらぁ〜とウンザリしていましたが。(^^ゞ
文科省が「教育基本法違反だ!」って大騒ぎしてイデオロギー論争になってるのは、かつての反動でしょう?
学校側の二重の落ち度です。
それでもモヤモヤは残ります。
それはこの問題から「生徒が置き去りにされている」ことです。
今の高校生を「ナイーヴな何も知らない羊」と決めつけていることです。
小学生だった当時のぼくは教師の偏見教育を見抜いていたのですよ。
今の高校生たちは、ぼくらの時代より遥かに賢いのです。
さらに、18歳になれば選挙権が持てるのです。
この事件の最も重要な点は、
「おい待てよ、明らかに波が高くてヤバいだろ?」とか、
「この大人たち、自分たちの運動に俺らを利用しようとしてないか?」って、
生徒たちが違和感を察知して、「この船には乗らないぞ!」と言えなかったことです。
(バスを止めて降りられなかった問題も同根です。)
これこそがいまの日本の教育現場における欠点なのです。
それを何ですか、「教育現場を萎縮させる」とは。
これに関しては、亡くなったお嬢さんのご遺族は立派です。
「賛否のある議題を取り上げるのが悪いのではなく、一方に偏るのが良くない」と言ったのです。
不毛な政治闘争に巻き込まれたくないという無念が伝わってきます。
日本は子供達をいつまで子供扱いするのでしょう。
年齢差はあるものの、子供達を一人の人間として扱うべきでしょう。
だから高校生や大学生にもなって甘えの構造が抜けきらないのです。
