・・・・・・・っということで、今日も思い浮かんだまま書きます。
独裁者の独創を許さないのは文化的要素が強いと思うんです。
1)権力者を疑う習慣
2)支持者でも批判することを裏切りとしない空気
3)政治的敗者が“敵”にならない社会的合意
これってかなり成熟した社会だと思うんですね。
世界を見渡すと、独裁の手法にいとも簡単に乗ってしまう国民って多いですよね。
かつての日本も例外ではなかった。
しかし敗戦によって日本は学んだと理解したい。
まあ、悪い意味もありますが。
前橋市長の再選なんかいい例でしょう。
選挙を通して民主主義を再確認したと言えるかも。(個人的には褒められたもんじゃないけれど。)
これを成し得るのは「教育水準の高さ」だと思うんです。
日本の進学率が高いのは周知の事実です。
これは江戸時代からの日本の文化です。
問題なのは、「教育から先」なのじゃないですか?
男女を問わずほとんどが大学まで進学するって尋常じゃないでしょう?
良い面としては独裁者を許さない「常識」が国民に備わっていること。
悪い面は平均よりちょっと上の社会で満足してしまうこと。
日本経済が伸び悩んでいるのはこの辺に理由がありそうな気がするんですけどどうでしょう?
教育から先とは、自分なりの哲学といっちゃ大袈裟だけど、学問なり政治なりを探究する力じゃないかな?
日本の教育でよく言われるのが:
1)正解にたどり着く力は強いけど、問いを作る力は弱い
2)既存の枠の中での最適化は得意だけど、枠そのものを疑うのは苦手
こういう社会は安定はするが跳躍しないとされ、今の日本を覆う「停滞感」を言い当てているようです。
隠居老人ですので具体例は挙げられないのですが、政治家を含めこういう停滞感を打ち破る人たちが必ずいるはずなのです。
爺がなんとなく気になっているのは、そういう既存のルールに囚われない人たちに「品格」が足りないことです。
要はオレがオレが強すぎ、極端な主張をして注目されようとしたがる。
相手を言い負かすことばかりに力点が置かれ、論拠に「哲学」がないことです。
歴史上で偉大な人物とされている人たちには必ず確固たる「哲学」があった。
その哲学は経営哲学でもいい、政治哲学でもいい、もっと広げて人生哲学でもいい。
こう考えていくと、日本の教育に足りないものは「哲学」じゃないでしょうか?
