・・・・・・・っということで、一度だけイランに行ったことがあります。(1978年)
イラクのバスラというところで仕事をしていましたが、同僚の父親が亡くなったとの連絡が来ました。
彼は長男だったため、葬儀に参加するため急遽帰国することになりました。
ぼくの任務は彼をテヘランまで連れて行き飛行機に乗せること。
もちろんぼくはイランに一度も行ったことがありませんでした。
国境を越えアバダーンからテヘランまで飛行機というルートです。
インターネットどころか事前情報も全くなく、行き当たりばったりでした。
本当に困難の多い旅でしたが、最後は駆け足でギリギリJALに間に合いました。
帰りも大変で途中で一文無しになり、国境を真夜中に歩いて越える始末。
まさしく冒険譚でしたが、そのときぼくには神様がついていると確信しました。
そんな一泊二日の短い経験でしたが、イランについての印象。
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悪い意味でアメリカ化していたこと。
何をするにも金を要求されました。
うまく言えないけれど、何か不満を抱え民心が荒んでいるように感じました。
石油の恩恵を得て国は裕福でしたが、極端な貧富の差があるのは明らかでした。
国民が等しく貧乏なイラクに帰ってホッとしたことを覚えています。
その時はまだパーレビ国王が独裁体制を敷いていて、あちこちに彼の写真が飾ってありました。
オイルショックで国内は不安定になり、しばらくして戒厳令が発令されました。
ぼくが訪問した1年後パーレビは亡命することになります。
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イランが今大変なことになっているようです。
禁止さてているデモが各地で同時多発的に発生し、とうとう革命防衛隊が群衆に向かって実弾を発射しているとのこと。
100体以上の死体袋が並べられている映像を見て、ゾッとしました。
イラン革命の時、パーレビ時代の高官や軍の上層部が捉えられ、片っ端から死刑になりました。
イランの新聞には毎日生前の顔と死後の顔が並べて掲載されていたそうです。
特派員が最初は不快だったけど、そのうち慣れて人は死ぬとこんな人相になるんだとしか感じなくなったそうです。
今回も同じことが繰り返されるのでしょうか。
誇り高きペルシャの末裔であるイラン人。
どうにでも捻じ曲げて解釈できるイスラム法を捨て、民主主義国家になるなんて無理なのでしょうか?
パーレビの息子が存命で、復帰を画策していると聞いて驚きました。
またアメリカの悪い面だけが出たあの時代に戻るつもりなのか?
