・・・・・・・っということで、これもNHKBSの番組、前回はピアノ調律師に焦点を当てていましたが、今回(?)はピアニストに焦点を当てています。
参加資格は16歳以上30歳以下です。
皆んな若いです。
有望なピアニストを「発掘」するのがこのコンクールの大きな目的だからでしょう。
見る前から分かっていることですが、みなさん「技巧」がある。
すると、どうなるかというと「解釈」の優劣を争うことになるのです。
どれほどショパンの意図を正しく理解しているか?どれほど深く理解しているか?
違うんですね。
そもそもショパンに意図があったでしょうか?
ショパンに理解して欲しい何かがあったでしょうか?
ピアニストが競っているのは、ショパンの曲をどれほど自分のものにしているかなんですね。
ある女性ピアニストが言いました。
「ショパンに恥ずかしくない演奏をしたい」と。(記憶があやふやで間違っているかも知れませんが。)
ショパンがこのコンクールを聞いたら、どう思うでしょう?
スッゲェ〜でしょうね。
まずピアノという楽器の完成度が当時と違います。
ピアノが演奏者のタッチを正確に奏でることができます。
それと演奏者の技術の進化。
ショパンは相当な技巧派でした。
最先端の技術を追い求めました。(案外見逃されている点ですが。)
自分が作曲した曲を聴いて、へぇ〜こんな解釈もあるんだと驚くと思います。
ということは、演奏に「正解」はないのです。
いつも感じるのですが、芸術とは一旦作者の手から離れると、一人立ちするんですね。
その芸術に触れた鑑賞者が自由に自分なりの解釈をする余地を与えるのです。
ですからピアニストが言った言葉は、ショパンが楽譜に残したものを見逃さずに演奏できたという点においては正しいわけですが、どう解釈するかはショパンに遠慮する必要はないのです。
コンクールですから、採点者が優劣を決めます。
意地悪な言い方ですが、採点者の人生観や美学とどれだけ一致させられるかが勝敗を分けるのです。
だから若手のピアニストに限られているのです。
経験が多すぎたり、個性が強すぎては優勝できないのです。
・・・・・・・
ぼくの古いブログ仲間にピアノが上手い主婦がいます。
ときどき彼女は演奏をアップしますが、上達途中です。 (ゴメン🙏)
でも、透明感があるのです。
ショパンがあなたのピアノのそばに座って、ニコニコしながらあなたの演奏を聴いているシーンが思い浮かびます・・・と印象を伝えました。
自分で言うのも変ですが、これこそ音楽の本質であり、あるべき姿でしょう。
彼女は自分の透明感を持っていて、それを聴く人はその透明感に感動するのです。
間違いなく彼女はショパンの音楽の中にいる。
音楽に正解がないことを、ぼくらは知っている。
それでも人は今日もショパンを弾く。
5年後のコンクールを楽しみにしながら。(ぼくは聴くだけですがね。(^^ゞ)
