・・・・・・・っということで、「アジア交易ネットワーク」の一つをシルクロードと呼んだに過ぎないところまで理解しました。
それにしてもシルクロードというネーミングは抜群のセンスですね。
話をシルクロードに戻して、敦煌から中央アジアまで灼熱の砂漠や険しい山道を通ってなぜ商隊を組んで踏破しようとしたのでしょう?
それは「儲かるから」です。
命懸けで運んで、たとえ商隊の半分が失われたとしても、儲けが莫大だったからなのです。
シルクロードですから、シルクは当然ですが他にどんな商品を運んだのでしょう?
1. 中国から西へ
2. 西から東へ
一つの高級品(たとえば絹や香料)は、距離が伸びるごとに価格が 何十倍 に跳ね上がると言われていました。
シルクはローマで金と同じ重さで取引されました。
胡椒は中世ヨーロッパで「黒い金」と呼ばれ、貨幣代わりになるほどでした。
・・・・・・・
下の地図が今回ぼくが訪れた国々です。
砂漠や山岳地帯を苦労して通り抜けた商隊が辿り着くのがこれらのオアシス都市です。
タシケントからビシュケクへ東に向かう上空からの地形です。↓
タシケントを飛び立つと、だんだん緑と乾燥地帯の境目が見えてきます。
ご覧のようにオアシス(タシケント)は広い平坦な地形に存在します。
↓緑が切れる境界。
そこからは不毛な山岳地帯が続きます。↓
山岳地帯を抜けビシュケクに近づくにつれ、また緑が見えてきます。
ビシュケクも広大な平地の中に存在しています。
キャラバン隊はこういう街道を往来していったんですね。
シルクロードという概念からは、これらオアシス都市は「中継地点」と思われがちですが、そうではなく一大「ハブ」と考える方が正確でしょう。
中継地であり、目的地(≑消費地)でもあったからです。
各地から集まった商品はここで取引され、一部は加工され、さらに各地に再配達されていくのです。
・・・つづく。