・・・・・・・っということで、人は長生きしたいと思っている。
百歳以上生きる人なんて稀でした。
ところが、いまじゃあまり珍しくなくなって、百歳を超えても記念品を贈られなくなったそうです。
ぼくは古希なんて歳になっていましたが、そう言われるのは「古代稀なり」だったからでしょう?
歳をとるとめっきり体の動きが悪くなり、毎日飲む薬も増えていきます。
それとともに、「気力」が失われてくるのです。
それに加え「ボケ」が進むのです。
これが喜寿とか傘寿とか米寿、卒寿なんて続いっていった日にゃどうなるのでしょう?
長生きしたって何の得にもならない、「ピンコロ」をいつのまにか願うようになるのです。
そこで、「長生きして得なこと」は何だろうと考えました。
そして、「続きが見られる」という結論に落ち着きました。
太平洋のジャングルで死んでしまった兵隊は、戦後の日本という続きを見られませんでした。
これって、残念ですよね。
ウクライナの戦争がどうなっていくのか?
トランプが大統領のアメリカはどうなっていくのだろう?
そんな大袈裟な続きではなく、自分の娘たちは幸せな人生を送るのだろうか?
続きを見たいですよね。
死じまったら、続きが見られません。
こういうことを言うと、続きは永遠に続くのであって、それを全部見ることなんかできないと。
でもサ、同期に優秀なライバルがいて、彼がぼくより先に死んでしまったら、ぼくは「勝った」と思うんじゃないかな?
父親は90歳(ー5日)に亡くなってしまいましたが、最後は年賀状が1通も届かなくなっていました。
現役の頃は、まさしく何百枚も年賀状が届いたのに。
同期生のほとんどが続きを見ることなしに人生を終えたのです。
中にはこんな苦しい人生を送るのだったら、自殺した方がマシと考える人もいるでしょう。
続きなんか見たくねぇ〜よってね。
でも、どんなに苦しくたって、自ら続きを見る権利を放棄するのって、いかにもモッタイナイんじゃないかな?
多分その続きは悲惨な人生のままで終わるでしょう。
ひょっとして好転する可能性があるかもしれないけど。
好転しないまま終わっても、続きは見ることができたのです。
続きが見られるって、幸せなことなんですよ。