・・・・・・・っということで、フランスではフランス語、イギリスでは英語を喋るけど、なぜ?(チコちゃんに叱られる風)
ご存知の通り、ノルマンディー公ウィリアム(ウィリアム征服王)は、1066年にイングランドを征服しました。
これをノルマン・コンクェストというんだけど、ウィリアムはイングランドとフランス(ノルマン公国)を同時に所有したわけですね。
当然フランス語を話していましたので、冒頭のなぜ?という疑問になったのです。
征服されたイングランドは「二言語社会」になりました。
貴族・王族・法廷・行政 → フランス語
庶民・農民・商人 → 古英語(アングロ・サクソン語)
この状態は約300年続きましたが、庶民はしぶとく英語を使い続けました。
十字軍遠征で有名なリチャード1世(獅子心王)が1199年に死去したあと弟のジョン王(失地王)が即位します。
このジョンがぼんくらで、1204年にフランスのフィリップ2世にノルマンディーを奪われてしまいます。
フランスにわずかな領土(アキテーヌ地方)を残して、ノルマン王朝はイングランドに閉じ込められた形になりました。
そんな経緯で、ノルマン貴族たちは内政に集中せざるを得ず、だんだん英語を使うようになっていったというわけです。
面白いねぇ〜。
南米諸国がスペイン語やポルトガル語を使うようになったのとは違うんですね。
それだけ、イギリス人はしぶといってことかもね。
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その後、1337年にはエドワード3世(イングランド王)がフランスに残った領土を理由に、百年戦争をおっ始めることになります。
ちなみにノルマン王家はもともとバイキングです。