・・・・・・・っということで、アウシュビッツ解放記念日の式典が開催されたそうです。
12年前、定年になってすぐヨーロッパを2ヶ月かけて旅行しました。
例によって無計画にあちこちの国々を放浪し、ポーランドに流れ着きました。
クラクフという古都に滞在していたとき、近くのオシフィエンチムに行くか行くまいか、ずいぶん悩みました。
オシフィエンチムはアウシュビッツという名の方が有名です。
電車とバスを乗り継いで、ちょうど日帰りコースです。
悩んだのはもちろん、今後の人生に影響する体験になると確信していたからです。
結局行ったのですが、その判断が良かったのかは今でも分かりません。
ですから、皆さんに是非行ってくださいとは言えません。
不思議なことに、なぜか記憶が全部モノクロなのです。
実際の体験より、記録映像が白黒なのが影響しているからでしょう。
それとも、本当に色彩のない世界だったのか、思い出せないのです。
自由には見学できず、まずガイドセンターに行って、時間ごとのガイドツアーに参加する必要があります。
日本語のツアーがあったのか知りませんが、ぼくは英語のツアーに加わりました。
すぐにあの【Arbeit machet Frei(労働は自由に繋がる)】という鉄線でできた標語の門を潜ります。
ああ、本当にアウシュビッツに来たんだという気分になります。
どの宿舎の中の壁にも、ここで命を落とした人々の写真がずらっと並んでいます。
不思議なことに、収監された日付と処刑された日付が記載されています。
いかにもドイツ人らしい几帳面さだなと思いました。
そんな無数の写真の中で、一人の青年の写真が目に留まりました。
詳しくは覚えていませんが、1年くらい生きて、何とクリスマスイブに処刑されていたのです。
奥まったところに「銃殺の壁」というのがあります。
その壁の前に並ばされ、無数の人間が銃殺されたのです。
ぼくは、その壁を背にして立ってみました。
彼らが最後に見たであろう風景はどのようなものだったのだろう?
左右の建物に挟まれた視界は、否応なしに上空に向かいます。
そこにあったのは青空か、灰色の空か覚えていません。
一番堪えたのは、子供達の靴の山です。
帰国後、カミさんに旅行の写真を見せていたとき、この写真で涙が溢れてきたのです。
思いがけず大泣きしてしまったのには、自分でも本当に驚きました。
ツアーは前半と後半に分かれていて、ぼくは後半のビルケナウ収容所はキャンセルしました。
・・・・・・・
今後の人生に影響する体験になるとの確信は間違いありませんでした。

