・・・・・・っということで、アウシュヴィッツから帰る列車の中です。
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クラクフの駅から2時間弱、オンボロ列車にガタゴト揺られてオシフィエンチムという駅で降りて、バスで5分くらい。
ミュージアムという停留所で降りますが、バスの運転手にアウシュヴィッツ??と聞けばちゃんと教えてくれます。
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本当は今朝、トイレに行く前までは行くつもりはなかったのです。
なぜかトイレ入っている間に気が変わって、出たときはもう支度をしていました。
これは運命なのでしょう。
大げさかな?
ホテルを出ようとしたら、アウシュヴィッツに行く客か?とツアーコンダクターのお姉さんに聞かれ、そうだが自分で行くところだと答えた。
駅に着くと、デブッチョのおっさんが近づいてきて日本人か?と聞かれた。
自分の車でアウシュヴィッツに行かないかと下手な日本語で誘われた。
日本語のガイドが付くという。
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アウシュヴィッツに着くと沢山の観光バスがずらっと並んでいた。
どうやら、アウシュヴィッツは一大観光地のようだ。
閑散期のはずなのに、入場待合室は大勢の人でごった返している。
ガイドブックにはタダのようなことが書いてあったが、40ズウォティ(ポーランドの通貨ね)約1,200円取られた。
単独行動は許されず、必ずガイドの付いたツアーに参加しなければならないとのこと。
何語がいいかと聞くので、日本語と答えたが、日本語のツアーはないとのこと。
んじゃ、英語ね。
受信機とイヤフォンを受け取る。
しばらく待っていると、ハイ英語の人ぉ~っと言われ適当にグループが形成される。
日本人の若者も3人くらいいたが、みるからに態度が悪かったので、話しかけず知らんぷりをしていた。
ハイこのグループは周波数ゼロね、といわれてチャンネルをゼロに合わせるとガイドの声が聞こえる。
実に分かりやすい英語を話す男性ガイドだった。
毎日毎日同じことを繰り返しているのだろうが、とても誠実なガイドに当たってラッキーだった。
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巨大な収容所をイメージしていたのだが、想像より小ぶりだった。
もっとも、ここから2km離れた場所にビルケナウというもっと巨大な収容所があるのだが。
入り口のゲートに掲げられた、あの有名な【ARBEIT MACHT FREI】の文字も想像していたよりずっと小さかった。
ビルケナウと合わせて、150万人がこの地で命を奪われた。
150万人の人間。
処刑というより、屠殺と表現したほうが相応しい大量殺戮。
いかにもドイツ人らしい几帳面さで、試行錯誤を繰り返しながら、最も効率的な処分方法を編み出していった過程が分かる。
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ここから先は、写真を見ていただくほうがよく伝わるだろう。
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ものすごく構えていたので、あまりショックは受けなかった。
たぶん単独で見学していたら、精神状態がどうにかなったかも知れない。
こういうときだけは、ツアーがいい。
ただ、子供の服が展示されていたケースを見たときは、ヤバかった。
危うくしゃがみこんでしまうところだった。
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果たしてアウシュヴィッツを訪れて良かったものか、来ないほうが良かったのか、まだ気持ちの整理がついていない。
観光客で溢れていたから、ショックを受けずに助かったともいえる。
後からジワジワ来るのか。
ケロッとして、訪れた自慢話をするのか。
途中晴れていたのに、また雨が降り出した。
もう一日、滞在を延ばそう。
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それよりも塩だっ!!
清めの塩を振りかけなくっちゃ。
↓オシフィエンチム駅です。
アウシュヴィッツというのはドイツの呼び名。
観光バスがたくさん停まっています。↓
↓ぼくのグループの担当ガイド。
敷地の配置図を説明しています。
入った内側から。↓
↓何だと思います。
ぼくはすぐにピンときました。
150万人ですからね。各地からユダヤ人、ハンガリー人、ポーランド人、ロマ人、ロシア人・・・が集められました。↓
↓入所する際の登録名簿。
この辺が、ドイツ人の几帳面さを現しています。
↓貨車にギューギュー詰めになって何日も移動して、その間に死んだ人も多数。
でも、そのほうが幸せだったかもね。
何しろ写真が少ない。
そりゃそうでしょうね。証拠を残したくない。
↓数少ない写真ですが、女性と子供たち。
向かう先はガス室です。
↓女性の写真。

































































