人間とAIとの境界線(その1) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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・・・・・・・っということで、映画【クリエイター】そのものは評価しませんでしたが、提起された問題には大いに共感できます。

 

それはAIとどう付き合うべきかという問題です。

 

映画ではAIロボットには2種類あって、明らかなメカニック的なものと、頭に大穴が空いている以外は人間そっくりなのです。

 

主人公は片手片足がメカニックである設定です。

 

主人公は特殊部隊を退役して、ロボット処理作業をしています。

 

ロボットを捕まえて首の回路を切断して処理するのですが、経験の浅い女性同僚から「まるで生きているみたいじゃないの」と言うと、主人公は「単なる機械だよ」と、殺人とは異なると説明します。

 

これがキーワードになっています。

 

AIがどんどん進化して、人間の社会に浸透していきますが、ある日AIが反乱を起こしLAで核爆弾を炸裂させます。

 

それを機に、アメリカが主導して世界中からAIを抹殺することにします。

 

AIがどんどん進化するのはクリエイターがいるからで、それを排除しようと人類(アメリカ)は躍起になります。

 

ところが、途中で核弾頭を破裂させたのは人間のミスであって、責任をAIに押し付けているのだと分かるのです。

 

過去のSF映画(ターミネーターなど)はAIの反乱によって世界が終わるなんて描写ばかりですが、ここのところがこの映画の評価点なのです。

 

AIがどんどん人間に近づいてきて、人間とAIとの境界線が怪しくなってきます。

 

AIを理解する人間が自分のデータを提供して分身を作ったりもします。

 

ついにクリエイターは子供を創り出します。

 

この子供がもう一人の主人公ですが、子供であるが故にこれまでのAIよりはるかに進化するのです。

 

超能力を持っていくのですが、これは放って置けないですよね。

 

皮肉ですね、人間の社会とAIの社会のどちらが良い社会に進化するのでしょうか?

 

AIたちは自分の家族を持つどころか、社会を形成していきます。

 

その社会が「アジア的」なのが面白いですね。

 

日本語の看板が出たり、渡辺謙が日本語を喋ってもみんな理解します。

 

そこでAIの長老(だったかな?)がAIが望んでいるのは「平和と(人間との)共存」だと語るのです。

 

これだよなぁ〜〜とぼくは我が意を得たりと手を打ちました。

 

今の世界は「平和と共存」を目指していないじゃないか。

 

特に(トランプを生んだ)アメリカが古色蒼然とした「強いものが支配する世界」を目指していることです。

 

・・・・・・・

 

なんだ、いい映画じゃないか観てみようかと思われるでしょう?^m^

 

ここからAIとどう付き合うかを書きたいのですが、長くなったのでつづきます。