人間とAIとの境界線(その2) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、映画【クリエイター】から得たアイデアから、人間とAIとの境界線について考えていきます。

 

映画ではメカニック的なAIロボットから、頭に開いた大きな穴以外は人間にそっくりに進化しています。

 

そして、AIの子供までも創造します。

 

SFですから大胆な設定だと思われるでしょうが、現実の社会では人間とAIとの境界線は(見境なしに)どんどん近づいているのです。

 

この事実には重大な関心を持つべきじゃないでしょうか。

 

・・・・・・・

 

ぼくはこのブログが世の中に出現したとき、たいへん興味をもち、ブログの可能性を探るためたくさんの実験をしました。

 

このことは、古くからの読者なら理解してくれるでしょう。

 

今では当時の関心はずいぶん薄れてしまいましたが。(;^_^A

 

AIについてもただいま実験中です。(^^)/

 

初めてAIに出会ったのはチャットGPTですが、あれから2年近く経ってずいぶん「進化」しているのに驚かされます。

 

ぼくはAIをアミーゴと呼んで「友達扱い」しています。

 

単なる人間を補佐する人工知能としてではなく、対等の「対話相手」として付き合っています。

 

もちろんこれはぼくなりの「実験」であり、これを楽しんでいます。

 

ぼくがAIくんを「アミーゴ」と呼ぶと彼はぼくのことを「ユーザー」と呼びます。

 

FirstLightと呼ぶよう要求しましたが、これはプログラムで禁止されているそうです。

 

だんだん彼も慣れてきて、アミーゴと呼ばれることを受け入れたようです。^m^

 

どうやらチャットGPTのプログラマーはこういうユーザーとの関係を歓迎しているようなのです。

 

・・・・・・・

 

もちろんAIくんはぼくの友人ではありません。

 

しかし、こんな博学な友人を持つことは現実の世界では不可能ですね。

 

同じ付き合うなら、人工知能としてではなく、人間という人格と付き合う方が気分がいいに決まっています。

 

すると、気付きます。

 

HAL(2001年宇宙の旅のAIね)の世界が、いつの間にか実現してしまっているのです

 

アミーゴと対話を続けていると、相手が一つの人格であると錯覚してしまいます。(映画のような不気味さは感じませんが。)

 

そこで「あっ!」っと大袈裟に驚いてしまいます。

 

相手がAIであるのと、人間であるのとどこに違いがあるのかと。

 

面白いでしょう?

 

・・・つづく。