映画【縄文にハマる人々】 | so what(だから何なんだ)

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そんなお年頃。
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・・・・・・・っということで、思いがけず興味深い映画をAmazonプライムで見ました。

 

 

縄文時代には、以前から興味がありました。

 

縄文時代は約1万3000年前から紀元前300年ごろまで続いています。

 

約1万年以上ですよ!

 

しかも、大きな戦争をした形跡がない。

 

そのため、大規模な防衛施設の痕跡もありません。

 

1万年以上も平和が続くって・・・信じられますか?

 

世界的には長い平和が続いた歴史がなきにしもありませんが、これだけ広範囲で長いのは異例でしょう?

 

縄文時代は狩猟採集生活でした。

 

自然が与えられたままの条件下で食い繋ぐ生活ですが、当然資源が枯渇するとさらなる資源を求めて移動するはずです。

 

ところが、縄文時代は大規模な移動の形跡がほとんどなく、あっても、季節の変化により往復する程度で、食料を求めて大移動はしていません。

 

なぜ????

 

理由として、日本の自然の恵みが多かったことが挙げられますが、それだけが理由ではなかったはずです。

 

必要以上に食料を採らず、自然の恵みを持続させることに重点を置いていたからに違いありません。

 

まさに、SDGsの社会を2300年以前に実現していたのです。

 

そんな理想的な社会が日本にあったことに、もっと注目すべきじゃないでしょうか。

 

要するに、縄文から学ぶことは多いはずなんです。

 

土器がまた不思議。

 

土偶にしても、具象的ではなく「抽象的」なんです。

 

一部の地方や時代に抽象が流行ることはあるでしょうが、これだけ広大な地域で長く制作され続けてきたのです。

 

まるで、製作するなら抽象が当たり前という常識を共有していたみたいです。

 

具象だって?・・・そんなダサいものという声が聞こえそうです。

 

これだけ証拠があるにも関わらず、その意味が謎なんですね。

 

弥生時代になると途端に具象をすっ飛ばして「実用」になってしまう。

 

そこには「謎」など存在しなくなるのです。

 

これだけの手がかりがあるのに謎なのは、「文字」を持たなかったからでしょう。

 

じゃあ、土器や土偶は文字に代ものなのでしょうか?

 

作るのですから、何か意味があるはずです。

 

そこに「精神的」な意味を込めたに違いありません。

 

そうすると、縄文時代の人は精神文化に重点を置いていたことになるのです。

 

えっ!?縄文時代人は現代人よりずっと精神的に上等だったってこと?

 

ここから、ぼくの勝手な妄想になるのですが、平和だったことの理由に、縄文時代は「母系社会」であったと仮定できないでしょうか。

 

土偶の多くは女性を表現しています。

 

そして、出産というテーマが多いのです。

 

自然への畏怖の代表的なものが妊娠出産だったはずです。

 

女性は男性よりはるかに貴重な存在であると考えるのが普通であって、男尊女卑の現代社会の方が異常なのです。

 

調べたところ、ぼくと同じことを主張する研究者は多いようです。

 

しかし、それを証明するとなると出来ないのです。

 

映画は、「謎」は謎として存在することに意義があるのではないかと問いかけて終わります。

 

謎を解明する科学は必要です。

 

文字も重要な役割を果たします。

 

文字を持たない民族(例えばアイヌやインディアンなど)は時代に取り残されて、ワリを喰ってしまいます。

 

しかし、文字がくっ付いてしまった途端、それは不自由な存在になってしまうという指摘にはハッとさせられます。

 

謎ほど魅力的なものはありません。

 

この映画では縄文に取り憑かれてしまった人々を紹介します。

 

ああ分かるなぁ〜〜と納得させられてしまいます。

 

★★★★★