・・・・・・・っということで、難しい問題をテーマにしています。
とうていぼく個人が扱える問題ではありません。
しかし、興味は持つべきです。
興味を持ったなら調べなくてはなりません。
このシリーズを書いている理由です。
・・・・・・・
そもそもパレスティナって何だろう?イスラエル国内の下図の点線で囲まれた部分で、南側が今話題の「ガザ地区」、北の方に「ヨルダン川西岸地区」に別れています。
古代にはこの地方はカナンと呼ばれていて、「肥沃な三日月地帯」と形容されていました。
要するに豊かな地域なんですね。
豊かであるということは、争いが起きる宿命だという意味でもあるんですね。
この地にはヘブライ人(ユダヤ人)も含め、様々な民族が住んでいました。
その後、エジプトで奴隷にされていたヘブライ人は追放され(出エジプト記)このパレスティナの地に移り住み、紀元11世紀頃にヘブライ王国を建設しました。
ダヴィデ王、ソロモン王の時に最盛期を迎えます。
統治の問題で内乱が起き、北がイスラエル王国、南がユダ王国に分裂しました。
紀元前922年のことです。
下図はその二国に分裂した図です。
イスラエル王国は722年頃に北のアッシリアによって滅ぼされ、ユダ王国の方は命脈を保ちますが、アッシリアが滅びた後の新バビロニア(ネブカドネザル王)によって消滅させられます。紀元前586年のことです。
ユダヤの人々はバビロンに連れ去られ、「バビロンの捕囚」と呼ばれます。
すると、ユダヤの国は約500年続いたことになり結構な長さですね。
新バビロニアはペルシャ帝国に滅ぼされ、前538年にキュロス2世によってユダヤ人は解放されパレスティナに戻ります。(バビロンの捕囚は案外短いのね。)
ペルシャ帝国はアレキサンダー王によって滅ぼされ、西暦6年にパレスティナは完全にローマ帝国の属州とされました。
この頃にイエス・キリストが活動するのですね。
その結果、ユダヤ人はディアスポラとなって国家を持たない民族になるのです。
・・・・・・・
下図は第一次世界大戦中の1916年にイギリス・フランス・ロシアの間で取り交わされた悪名高き「サイクス・ピコ協定」による当時オスマントルコの領土だったパレスティナの分割協定です。
話題としているパレスティナはAllied Condominumum、すなわち「共同統治」となっているのです。
これだけでは悪名高きとは言われません。
これとは別にイギリスは1915年「フサイン=マクマホン協定」をアラブ側と結んでいたのです。
アラブの独立を認め、パレスティナをアラブ人の居住と認めているのです。
この時代は【アラビアのロレンス】に描かれています。
まさしく「二枚舌」ですね。
アラブにパレスティナの自治権を与えると言いながら、自分たちは勝手に国境線を引き、分け合っていたのです。
まだこの話には続きがあります。
イギリスの外相がロスチャイルド(ユダヤ人)に対して「バルフォア宣言」なる書簡を送っていたのです。
内容はシオニズム(ユダヤの建国運動)を支持するという内容です。
二枚舌どころか、三枚舌を使っていたのです。
まさしく欧米人の植民地政策の本質とはこのようなものです。
独立を認めると言いながら、わざと火種を残すのです。
なぜなら、自分たちの影響力を保ちたいからです。
植民地を持つということは、ここまで悪知恵を働かす覚悟が必要なのです。
日本人が欧米人と付き合う時、彼らの本性を知る必要があります。
そりゃ揉めますわな。
イギリスは手を焼き、1948年に結局止ぁ〜〜めたと委任統治を放棄します。
ユダヤ人は念願叶って、その年イスラエルの独立宣言を果たします。
西暦6年から続いたディアスポラが約2千年ぶりに終わるのですから、ユダヤ人がどれほどどれほど喜んだことか。
これが、今ガザ地区で起きている殺戮の背景なのです。
まだまだ続く。



